オンライン書店ビーケーワン:ローマ人の物語 24
【ローマ人の物語 24.賢帝の世紀】 塩野七生


 まったく、この人の書く話は面白いなあ。
 ローマ人の物語もついに五賢帝時代に差し掛かったわけだが、今回はちょっと「おっ?」と思わせられる書き方になっている。
 冒頭で大学の授業の例え話が出たせいだろうか、この巻については今までと違って大学の講義を受けているような印象を受けている。もちろん、とびきり面白い講義を、だがね。
 実のところ、このローマ人の物語でこんなに抑制のきいた文章にお目にかかったのは初めてではないか、とあくまで主観だがそう感じている。ややも興奮気味で愉しそうな共和制時代。カエサルやキケロと夜通し飽きずに談笑しているようなユリウス・カエサルの時代。不貞腐れたようなじれったそうなアウグストゥスの帝政初期。歴史家タキトゥスと勇躍異なる意見を戦わせ、討論しているような悪帝たちの時代。
 思い出しただけでも、上に下に左に右にと、塩野先生の筆は実に愉しそうに踊っている。まるで目の前に、歴史の彼方に消え去った過去の時代の人々が生きているかのように、だ。
 ところが、今巻の主題であるトライアヌス帝の治世に関しては、信頼を置くに値する文献資料は皆無に近い、のだという。
 冒頭でこの時代について書いてくれなかったタキトゥス氏についつい恨み節を連ねているあたりはまあまあと宥めたくもなってしまうのだが、つまるところ今回については文献資料がないということで、対話をする相手がいないということになる。
 ここで面白いのが、そうなると逆に話がトライアヌス帝の治世では一体どういうことがあったのか、という事実の追跡になっている点だろう。資料が乏しいのなら、主観が多く入り混じった話になりそうなのに、逆に抑制のきいた文章になっているあたりが本当に面白い。抑制のきいているからといって、退屈だとかつまらないとか、その手の感想をまったく抱かせない、どころかそれはそれで新たな方向からローマ人の作り出した帝国の魅力を見せつけ、引き込ませてくれるあたり、凄いなあと思うわけだが。
 うん、つまるところたとえ抑制がきいているとしても、書いている内容についてはどうしようもなく好きな相手のことで、その姿を伝えるべく乏しい資料の中から掘り起こし、必死に形にしていった結果なのだから、退屈なものになるはずがないんだが。
 しかし、それにしてもだ。やはりこの人は、対話する相手がいる方がついついはしゃいでしまう方のようだ。事実、小プリニウスに――彼とトライアヌス帝の往還文書、つまりプリニウスの肉声に触れるにくだりになると、途端筆が踊りだすあたり、ああやっぱりこの人は、とついつい笑みがこぼれてしまう。

 然るに、今巻通してのイメージだが。
 どうだろう。小奇麗な個室で言葉数が少ない無口なトライアヌス皇帝へのインタビュー、そんな印象だろうか。生の言葉はあまり聴かれなかったけれど、きっとこの対談を通して作者の中では色々と彼の業績について得心を持ち、その向こうにトライアヌスという人物の人となりを透かし見たのではないだろうか。
 ありがとうございました、と握手してインタビューを終えるような締めに、ふと「こちらこそ」とずっと生真面目なまま動かなかった顔つきに、初めて微笑を浮かべるトライアヌスの妄想を抱いた。