かしまし~ガール・ミーツ・ガール 5 (5)

【かしまし ガール・ミーツ・ガール (5)】 桂遊生丸
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少女トライアングル・ラブストーリー【かしまし】も、この五巻をもって完結。
創作っていうものは突き詰めれば、何かを伝えることだと私なんぞは愚考するのだけれど、その意味ではこの漫画の作者桂遊生丸という人の『伝える力』というものはずば抜けていると思う。言葉をいくら費やしても伝えきれない万感の想い、積み重ねた気持ちの連なり。そうしたものを、この人は一枚の絵で、たった一人の浮かべる表情で、伝える力を持っている。
いるんだよなあ。漫画家でも小説家でも。たった一枚の絵で。たった一言の言葉で。他の人がどんなに頑張っても表現しきれないものを、ガツンとこの世に生み出してしまう人が。
不思議で不思議で仕方が無い。どうして人間という生き物は、そんな容量からすればほんの小さいものに、とてもたくさんの意味や気持ちを見出せてしまうのだろう。そして、送り手はどうやったら、あんな莫大な情報量をそんな小さなものにこめてしまえるのだろう。
この【かしまし】という漫画は、読み返すたびにそんな魔法めいた感慨を思い知らせてくれる作品でした。
この漫画家さんは、もっと有名になるべきだと思うし、次回以降、もっと素晴らしい作品をこの世に送り出してくれると信じています。
傑作でした。

しかし、何度読み返してもとまりちゃんの可愛らしさは異常だ。異常だ。異常すぎる。この手の性転換ものや女装系はどうしても主人公の元男の子が一番可愛い、というパターンになってしまい、他のヒロイン衆は喰われてしまいガチなのだけれど、このかしましに至っては、はずむというほかに類を見ない凶悪な素材がいるにも関わらず、それを上回るとまりという人材が、この作品を天頂まで駆け上らせたんじゃなかろうか。
かしましは、女の子になってしまった男の子、はずむを中心にとまりとやす菜が恋愛トライアングルに落ちてしまう話なのだけれど、不思議と百合作品と私は思わなかったんですよね。はずむなんか、まんま女の子なのに。
どうしてだろうと考えていたんですけど、なんかもうこの子たちの恋は性差を越えちゃったんでしょうね。男の子だとか女の子だとか、そういうのを通り越しちゃってる。この辺、とまりに私の焦点があってたからかもしれない。とまりは、幼馴染の男の子がいきなり女の子になってしまって、そうなってしまってからようやく自分が彼のことを好きだったって事に気づかされ、その上で、彼が彼女になってしまったとしてもそいつを好きだという気持ちは消えるどころか抑えきれないくらいに膨らんでしまう、というはずむへの気持ちの過程を踏んでいるんだけど。とまりの恋愛感情って、相手が男だとか女だとか関係なく、『はずむ』という個人に真っ向から向けられている。この純真で真っ直ぐな気持ちには、女の子同士だとか百合だとか、そういうのは一切関係ないんですよね。
やす菜のそれも、かなり重たい変節は辿れど、最終的にとまりと同じく男だとか女だとか関係なく『はずむ』という個人への愛情に気持ちが研磨されていく。
ここに至ると、性転換ものだとか百合ものだとかいう枠組みは、もう意味を失ってしまっていて、はずむととまりとやす菜の三人の少女たちが織り成す恋愛トライアングル、という唯一に収束していたんじゃないだろうか。
性転換でも百合でもなく、『かしまし』だけの『かしまし』な話。そこまで、作品自体を磨き上げたという事自体、凄いなあ、と思うわけです。

そして、本当に一番大事な、肝心なときに、はずむを助けてくれたのは親友の明日太。この本読んでて、思わず涙ぐんでしまったのが明日太のシーン。こいつ、作中では何気にひどい扱いを受ける事が多かったけど、最初から最後までイイヤツで格好良い男の子だったと思います。作者の人も、この子の事を弄りながら凄く愛情を感じる弄り方だったので、蔑ろにはされないだろうと思ってたけど、やっぱり大事なところで役目を与えてくれましたねえ。嬉しかったなあ。
オマケ漫画見てると、明日太とあゆきのカップルって脈がありそうな錯覚を起こしそうなんだけど、私はありだと思うんだけどなあ。というか、オマケ漫画にああいう話持ってくる辺り、この二人を書くとき作者の人もそういう意識が無くは無かった、って事だよなあ。うん。

はずむが最後にした選択は正直、【暗闇にヤギを探して】並みに驚いた。と、同時に何となく納得。
ああもう、とまりの可愛さは異常だ。異常だ。異常すぎる。とまり画集とか出たら買うぞ、マジで。
なにはともあれ傑作でした。次回作も、期待してます。

とまりとまりとまりとまりとまりとまり、可愛いなあ(病んでます