全ての歌を夢見る子供たち (富士見ファンタジア文庫 174-5 黄昏色の詠使い 5)

【黄昏色の詠使い 后〜瓦討硫里鯡憾る子供たち】 細音啓/竹岡美穂 富士見ファンタジア文庫


その純粋な魂を、誰かを好きになる想いの発露を、磨きあげ輝かせた時、それがどれほど綺麗で美しく眩しいものになるものか。
穢れも曇りも拭い去り、ただその輝きを貴ばせる。この作者の綴る言の葉、文章から綴り上げられる人々の思いの形は、本当に美しい。本当に綺麗で、奇麗で、泣きそうになる。
その一切の穢れを取り払った輝きに、思わず目をそむけたくなる人もいるかもしれないけど、でもこの拙いほどまばゆい光に、私は心ひきつけられてやまない。
ネイトの一途さは、あれはなんなんだろうね。人当たりもよく健気で純真。人から可愛がられ好かれて慈しまれる人柄の持ち主なのは疑いようもないのですけれど、私には彼の魂は孤高であるように思うのです。
母イブマリーと二人きりで過ごした日々。イブマリーはネイトに明確な形で愛情を注いでいません。彼の記憶にあるイブマリーはどこか冷たさすら感じます。母からの愛を信じつつも、どこかで心に飢餓感を宿しているような……母が残した夜色名詠を極めようという彼のはじめの頃の姿勢には、態度こそおとなしく柔らかいものの、それ以外のこと、自分を取り巻く人たちについても本当の意味で目もくれない、眼中にないのでは、という魂の形が垣間見えました。
そんな彼の孤高の魂に、するりと寄り添ったのがクルーエル。
ただ母の愛情を証明するために全てをかなぐり捨てることも厭わないように突き進んでいたネイトの足を止め、周囲を見渡す錨となったのがクルーエルの存在だったとしたら。
イブマリーを起点として閉じていたネイトの世界は、クルーエルを起点として広がりつつあったのではないでしょうか。
そして、そんなクルーエルが失われようとしていることは、すなわちネイトにとって世界そのものを失うことと同じ意味。
依存? それはまた違うでしょう。誰かを大切に思う気持ちとは、お互いを想い合うこととは、きっと支え合うことなのですから。そして、誰かが誰かを支え合うことが折り重なり、世界は成り立っている。
その体現が、この物語でネイトとクルーエルが織り成したあの美しい賛来歌(オラトリオ)。

名詠式では手に入れられないものがある。今回含め、この物語ではくり返しくり返し、この言葉が強調されていました。それは様々な人に当てはまる言葉でしょうけど、なによりネイトの生きざまに、そして夜色名詠という名詠式の完成にそれは現われているのではないでしょうか。

あれほど自分を追い詰め、求め続けて得られなかった夜色名詠の完成。それを、ネイトは今回見事に形にすることに成功します。偶然ではなく、揺るぎない確かな形をもって。
夜色に限らず、名詠式の神髄とは想いの力そのものだったんだなあ(感嘆


そして、あの二人の再会。
そっと寄り添うあの二人の姿に、胸が締め付けられそうでした。今回、ネイトとクルーエルの独壇場でしたけど、それでも一瞬のこの二人の邂逅はあまりに印象的で、思い出しただけで泣きそう。
二人にとって、あの短い邂逅と、ネイトとクルーエルの成長を見守ることで幸せで、報われているんだろうけど、はたから見たら切ないよなあ。
切ないよなあ。