アンゲルゼひびわれた世界と少年の恋 (コバルト文庫 す 5-67)

【アンゲルゼ ひびわれた世界と少年の恋】 須賀しのぶ/駒田絹 コバルト文庫


あとがき読んで、爆笑。
先生、今までの自分の作品の主人公のキャラを<アレ>呼ばわりはどうかと思いますよ?(笑
そりゃあ、今までの須賀先生の作品の主人公と比べちゃ、陽菜は内気でヘタレでネガティブだけどさ。……うん、まあアレと言いたくなるのもその通りなんだけど。カリエにしても、キャッスルにしても……アレとしか言いようのない女性たちだったしなあ(苦笑
それでも、最初のころに比べたら、陽菜もたいぶふてぶてしくなってきましたよ。あれだけ追い込まれりゃ、些細なことで引っ込み思案になってる場合じゃないですもんね。
まあ、単にその内向的な思考の向う方向が、日常生活から現在の環境に対するものに変わっただけ、という気もしないでもないので、単純に陽菜が精神的にタフネスになってきた、と言いきれないのも確かな話。
でもまあ、考えてみると不思議な話なんですよね。最初の頃、自分の内向的な性格と上手くいかない家庭、学校での生活に鬱屈を抱えていた時、彼女の目から見て、周りの人間はどいつもこいつもろくでもないような輩ばかりに映っていたのに、段々と陽菜の置かれた立場が悲惨で救いようのないものになればなるほど、逆にそれまで彼女が軽蔑し、おそれ、不信の目で見ていた人々が、みんなそれぞれに自分にとっての精一杯の事を成しつつ、陽菜のために努力し、尽力してきたことが分かってくる。
ふと、改めて彼女の周りにいる人たちを見直すと、みんな人間的に信頼でき、陽菜の事を真剣に思ってくれている人たちばかりなんですよね。ところが、陽菜が立たされた境遇は平穏だったころと激変し、希望も何もない救いようのない残酷なモノでしかない。
皮肉がきいているというべきか、底意地が悪いというべきか。
ただ、彼女が抱く絶望は変わらなくても、周りの人々に支えられることで少なくとも、陽菜には自分の運命に立ち向かおうという意思や気概が生まれつつあるのは確かなんですよね。
それは、果たして救いなのか。
そんな彼女の置かれた立場の、そして小心者で周りの目を気にするばかりだった少女の性格の、その急激な変化に置き去りにされたのが、今回のもーちゃんこと覚野だったのかもしれない。
陽菜の目からすれば、完璧に見える覚野もまた、彼女と同い年のまだ精神的に成熟しているとは言い難い思春期の少年にすぎないわけです。自分の行動力の起源とも言うべき想いの正体から目をそらし、肥大する我をもてあますただの少年に過ぎなかった。
でも、変わってしまった陽菜と相対することで、彼も必然的にそうした未熟さから脱皮しなければならなくなったわけで。そこで自分の衝動に背を向けず、殻に閉じこもろうとせず、彼なりのやり方とは言え立ち向かったことは、やはり偉いやっちゃと思うのである。
もーちゃん頑張った、と賛辞オウライ。
たとえここで、陽菜が置かれた状況に手が出せない無力さを思い知らされたとしても、今の彼ならしがみついて這い上がってくる意志を持ちえたのではないだろうか。
……これ、作中でもけっこう年月過ぎる長丁場の物語になるんかもなあ。でないと、もーちゃん関わり様がかなり難しくなるし。
敷島の最後の発言は、真相にしてもその発言から派生する展開についても興味津津なんだけど、はたしてどうなるやら。
……にしても、敷島少佐のキャラクターは未だに把握しづらいな。見る人によって印象かなり違ってるし。まあ陽菜の視点はかなり色眼鏡入ってる風だけど。でもまあ、陽菜への態度を見る限り思ってたより不器用な人なのかもしれないね。容易に真意を見せないところは器用なんだけど。……逆にこっちが考え過ぎてて、副官とのプライベートで見せる態度が、素なんじゃないかと思ってしまう時もあるんだけど(苦笑
まあ、三巻に至ってだんだん把握できてきたかなあ。と、見せかけて、というパターンもあるから、油断できんがw