“文学少女” と神に臨む作家 下 (ファミ通文庫 の 2-6-8)

【“文学少女”と神に臨む作家 (下)】 野村美月/竹岡美穂 ファミ通文庫



人は神聖なものを前にした時、慄き震え、涙を流すだろう。透明で純粋で穢れのない尊いものを目の当たりにした時、人は感動に己が身を抱きすくめるだろう。
でも、身近には感じない。

"All the world's a stage,/ And all the men and women merely players「この世は舞台、人は皆役者」"

シェイクスピアの戯曲の名言だ。その解釈はここでは脇に置き、ただ言葉の表層から受け取られる意を流用させてもらう。
最初に断言するが、この物語は名劇であった。それは間違いない。私は感動もしたし、慄きもした。
だがそこには、遠い隔たりを感じずにはいられなかったのだ。それこそ、舞台と観客席を隔てるような、遠い距離感を。疎外感を。
いつものように、本の中に、物語の中に入り込めず、読者たる私はどこか手の届かない遠くから彼らの物語を眺め見ることしかできない。
彼ら登場人物の吐く息吹は迫真のもので、その吐き出す言葉は魂からの叫びだ。彼らの祈りのセリフは、見ている私の打ち、痺れさせる。
だがこれは物語だ。その事実が、読中たびたびハッと思い起こされ、高揚は潮が引くように去っていく。
人々の苦悩も、痛みも、ドロドロの汚泥のような感情さえ、どこか玲瓏として透明で、その尊いまでの純粋なあり様が、逆にこれが物語である現実を突き付ける。
モチーフとして重ねられる文学作品とのあまりにも近しい整合振りもまた、作中の雰囲気を現実感よりも物語としての存在感に近づけていく。その文学作品そのものに、飲み込まれていくように。
まるで、当該の文学作品から滲み、こぼれ、産み出された世界のように。

思えば、これほど不思議で独特な作品も珍しい。
傑作なのだろう。それはたぶん、間違いない。
でも、私には少し遠くて、触れて感じることのできない作品だったんだろう。寂しいけれど、まあそういうこともあるのさ、と強がりを口にしたい今日この頃。