封仙娘娘追宝録11  天を決する大団円(下) (富士見ファンタジア文庫)

【封仙娘娘追宝録 11.天を決する大団円(下)】 ろくごまるに/ひさいちよしき 富士見ファンタジア文庫

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封仙娘娘追宝録完結である。正直、私が生きている間に終わるものとは思っていなかっただけに感慨深いものがある。我が青春の終わりというべきか、ライトノベルの一つの時代の区切りというべきか。
ろくごまるには「天才」じゃあるまいかい、と固く信じて幾星霜。その確信は、結局のところ最後まで保たれてしまい、この最終巻を以って私にとっての現実として永久に固定されてしまうことになってしまったわけだ。まったく、技術的に上手いとか素晴らしいとかを通り越して、頭がおかしいんじゃないかというくらい常人から逸脱したこの洒脱さは、いったいなんだったんだろうねえ。
この作品のドえらいところは、ほぼ6巻あたりの段階から仕込が本格的に動き出していたと思われる鏡閃の企み――まさにこの封仙娘娘追宝録のラスボスに相応しい背景と覚悟、そして正当な復讐心に基づいたその陰謀は驚嘆すべき精緻にして幾重もの狡猾な仕込に彩られたとんでもない大掛かりで巧妙な企みだったわけだが、その予想だにもしなかった凄まじい策略が完成し、和穂の宝貝収集の旅そのものが成り立たなくなり、和穂にとっても龍華にとっても絶望的でしかない展開に陥った、と思った瞬間に、そのラスボスだったはずの鏡閃をすらも仰天させ、この作品の半分近い部分を使って完成させたはずの鏡閃の企みを吹き飛ばしてしまうような、読んでるこっちも唖然呆然させられるちゃぶ台返しが行われてしまったところだろう。
正直、鏡閃の仕組んだ謀というのは、その目的と言い背景と言い、物語の半分近くを費やした分量と言い、その深遠さ巧妙さといい、ライトノベル界隈を見渡してもちょっとお目にかかれないような、凄まじい代物だったわけですよ。これがこの作品の最後を彩るための最大の仕込み、と言われてもまったく遜色ないどころか、出色とも言える出来栄えだったのは間違いないわけですよ。
それを、前回あんな形で吹き飛ばされてしまったんだから、呆気にとられても仕方ないだろう。

その混乱とパニックに対しての結果にして結末がこの最終巻だったわけですが……。
すげええ。あのでたらめな状況から、ほとんどオーラスに混乱と疑問の答えを出してきたよ。
前巻の感想で冒頭に提示した、この作品の根幹に横たわる問題においてすらも、最大限の答えを返してきてくれましたよ。ほんと、マジかよ。
根本的に大団円なんてあり得ない物語の構造であることは揺るがなかったのですが、鏡閃の悲劇をはじめとする人間界の惨劇的変質については今回のカラクリによって大幅な補修がなされたことは間違いないでしょう。斬像矛の過去渡りによって生じた歴史の歪みというのは今回の一件で補正され、人間世界の変質というのはほぼ、和穂の宝貝散逸の段階から、という形になったはず。もちろん、斬像矛たちが過去に渡った事実は変わらないし、奴らが和穂と程獲の運命に干渉したことは揺るがないにしても。

しかし、奮闘編との齟齬についても、これほど鮮やかに説明がなされるとは思わなかった。
以降、深度のネタバレに触れる話題になるので、格納。

つまり、奮闘編というのは世界が再構成された後の二週目の物語、と考えていいんだろう。深霜や導果は鏡閃によって捕獲され、破壊されているわけだけど、彼の陰謀に関わる歴史は修正されるわけだから、和穂の宝貝回収の旅に彼女らが関わるのは、本編の未来の過去となるわけだ。
。斬像矛が時空を斬り裂き舞い降りた過去の時代の段階から歪みが修正されるとして、大まかには現在の状況は変わらない、と。
変わってくるのは鏡閃が龍華への復讐をたくらみ、陰謀を巡らし始めたあたりから、となってくると考えるべきか。
具体的には、龍衣の鏡閃が倒され、仙骨が鏡閃の元に戻った段階から。そうなると、程穫の死や軒轅との抗争、龍衣の鏡閃の討伐あたりまではそのまま同じように進行する、て事だよね。
いや、しかし第三巻の【泥を操るいくじなく】の話はどうなるんだ? 村長代理が過去の帰還し、未来に現れない以上、殻化宿がどういう形かで梨乱の村に現れない限り、彼女の村は泥に沈んで全滅することになるんじゃないのか? ……そうか、梨乱が見た黒い影はつまり村長代理の役を担う人ということになるのか? だから、梨乱の前に黒い影が現れる描写を挟んだのか。
なんにせよ、なんらかの辻褄はあってくるという事なんだろうか。この辺、結局情報が少なすぎて、判断がつかん。

夜主も結局、龍華となんらの繋がりもなかった、という事なんだろうか。彼女も確か、黒い影を見てるんだったっけ。
なんにせよ、導果先生の「どちらにせよ同じこと」という言葉はこういうことだったのか。あの宝貝、本気で凄いヤツだったんだな。ただの変人探偵ではなかったのか。

しかし、村長代理の正体は、あかされた時は素でびっくりした。そっちかよ!!
実のところ、三兄弟ってことで普通にあっち、劉・関・張の三兄弟かとも思ったんだが、村長代理と三弟があまりにもキャラが違いすぎるから、違うかな、と思ってたんだけれども。その後、村長代理の名前が張良と明かされたときはさらに混乱させられたわけだけど。
まさか黄巾族の三兄弟の方だったとは。となると、三国志の歴史は大幅に変わってきているんだろうか。なかなか興味深いところではある。

どうして龍華があんな惨劇を繰り広げたのか、その答えもきっちり描かれたわけだけど、最初は龍華が恨みを引受け、和穂が感謝を受けることの意味がよくわかんなかったんですよね。
でも、よくよく考えてみると……これって龍華による和穂への、最大限の支援になるんですよね。
本来なら和穂の宝貝回収の旅に何らの手助けもできなかった龍華が無し得た、最大限の手助けだったわけですよ。意味があるのか、なんてどころじゃない。龍華のこの一手が和穂の旅にとって、どれほどの助けになるか。考えてみたら、これはホント、とんでもない大きな助けになるんじゃないでしょうか。それこそ、絶望的でしかなかった旅の達成に対して、希望の光が差すほどの。
本来なら、災厄の種を人間界にばらまいた和穂という存在は、恨みや憎しみの対象として捉えられることが大半だったでしょう。宝貝を回収する旅路において、相手から憎まれる立場というのは必然的に危険度が高まるばかりというのは言うまでもありません。
でも、その感情が憎しみではなく感謝だとしたら? それも、人間界が滅び去るような危機を覆す希望の光をもたらした救世主に値するような人物への感謝、希望だとしたら。
いったい、どれほど回収の旅の危険度が減るものか。
そのために龍華が引き受けた怨み、憎しみの膨大さには目眩がするほどであり、仙界での今後の彼女の立場も決して楽観できないものになりかねないわけだけど……それだけ、龍華の和穂への愛情が身にしみる。やはり、彼女の和穂への愛情は、弟子へのそれじゃなく母親の献身に近いものがある。

身を犠牲にすることを厭わない、覚悟の凄まじさでいうなら、燕寿のそれも凄まじかったわけだけど。だって、あれ。もう最初から殺されることを前提にしてたってことでしょ? やっぱりこの一件も、終わったあとでもう一度よく読みなおしてようやく理解したわけだけど。必要な場合、真意を悟らせない、という点ではこの作品、どの登場人物も徹底している。ほんと、全然察知できないんだもん。これでも、その手のキャラクターの意図を行間から読むアンテナは感度高いつもりだったんだけど、このシリーズだけは、全然役に立たない。
凛晴が漸央旗にあれだけ激昂したのも、主人である燕寿の決断を承知で動いていたからこそ、だったんだろうし。
情に流されない点については欠陥品ではないにしろ、情がないわけではなくむしろ深いくらい、というのはやっぱり兄弟なんだなあ。逆に、流されないことが彼女に辛い思いをさせているようにも思うわけだけど。



物語としては、和穂の宝貝回収の旅は終わることなく、まだまだ続くことになるわけだけど……多分、和穂は回収しきるだろうね。龍華の支援もあるし、なによりここで和穂が示した資質の空恐ろしさというのは、彼女が仙人であるかただの人であるかを越えたものだったし。
殷雷と一緒なら、彼女はどんな困難だって最終的には乗り越えていける。それを、この一件で彼女は明確に示したように思えるのだ。彼女にもう、なんの心配もいらない、と。
まあ、最初から和穂って娘は、ある意味殆ど完成された人だったけどね。土壇場での肝の据わり方、優しさと甘さを履き違えない判断力の鋭さ、英邁さ。情に流され判断を誤る殷雷よりも、よっぽど迷わず覚悟を決められるのは、程獲のときも龍華のときもきっちり見せてもらったし。


ああ、これで終わりなのかと思うと、正直実感がわかないんだよね。冒頭で感慨深い、なんて言ったけど。ありゃあ嘘だ。感慨なんてあったもんじゃない。何年も続きを待つことが常態だったから、終わってもまた続きが出るんじゃないだろうか、という感覚なんだろう。たとえ、次が何十年経っても出ないのだとしても。封仙娘娘追宝録、という存在は自分の中に引っこ抜けないほどの深度と範囲でびっしりと根を張ってしまっているとうことだ。
だとしたら、続きが出ようが出まいが、たいして変わりはないのかもしれない。
一生、死ぬまでこの待ちぼうけている感覚と戯れていけばいいだけの話ではないか。
なんとも、楽しい限りじゃあないか。
さようならじゃなくて、これまでもずっと一緒ということなんだから。

……ははっ、なんだ。たしかにこりゃあ、「大団円」だ♪