時載りリンネ! 5  明日のスケッチ (角川スニーカー文庫)

【時載りリンネ! 5.明日のスケッチ】 清野静/古夏からす 角川スニーカー文庫

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前作からはおよそ八カ月ぶり。長編としては丸一年ぶりとなる時載りリンネの新作。長らく間が空いたことで、その筆調がどう変化するのか、期待と不安に身を焦がしページをめくり、めくり、めくり……この読み終えたあとに口元から溺れ落ちていく至福に満ちた溜息の大きさときたら……。
嗚呼、まいった。空白は純粋に更なる高みへ至るための準備期間にすぎなかったわけだ。
素晴らしい。いっそこの一言で片づけてしまいたくなる。この本の文章の美しさ、豊潤にして上品な、それでいて身近で優しくやわらかい、その温かくも涼やかな文字列を前にしてしまうと、自分の書く言葉の貧相さに居た堪れなくなってしまう。ただ、そんな自分でも言葉を尽くして伝えたくなるモノが確かに、ここに存在するのだ。恥じ入って身を縮め、顔を伏せてしまうような居丈高な力強さではなく、すべてを受容し受け止めるような優しさに満ちた潤いが。

子どもたちは子供たちであるがゆえに、その場に立ち止まり続けることはなく、全力で弾むように前へ前へと走っていく。それは進歩であり成長であり、無垢で無邪気な子供であり続ける事から飛び立っていくということでもある。
リンネもまた、たび重なる冒険と、多くの人々との出会いと、変わらぬ日常の繰返しを経て、成長を続けている。常にそばにいて彼女のことを見守っている久高の目から見ても、その変化は顕著であり、そして彼女はリンネであり続けている。
子供であり、女の子であったリンネが垣間見せるようになった大人びた横顔。美しい少女の所作。思慮深いまなざし。それでいて、輝かんばかりにはじけるリンネという存在のまばゆさは何一つ変わらない。
とても健やかに、とても素晴らしい形でリンネはすくすくと前へと進んでいる。
それがとてもうれしく、また年甲斐もなく久高に同調したように、心臓をドキドキさせてしまった。
ふと思う。考えてみれば、自分も罷り間違えればこのぐらいの年頃の子どもを儲けていてもおかしくない年齢だ。そう思うと、この眩しいばかりの子供たちの姿に、思わず目を細めて微笑んでしまう。
そう、子どもたちはいつだって見守るものたちの想像をはるかに飛び越えて、成長していくのだ。
少し生意気になったねはんのように。以前よりも我が強くなりよくお喋りするようになった凪のように。

自分は時載りでも文学少女でもないけれど、このシリーズを読み終えるといつだって、空腹が満たされたようにお腹がいっぱいになる。心踊りながらも平穏に、テンションはなめらかに、疲れは吹き飛び、心底からリラックスして、穏やかな多幸感に身を浸す。それは、暑い夏に吹きぬけていく涼やかな風のように。寒い冬の空の下、暖炉にともった火のぬくもりのように、私を優しく癒してくれる。


相変わらず、このシリーズの感想は具体的な中身に触れることができず、ついつい叙情的に湧き立つ心情を語ってしまうのは、少々反省した方がいいかもしれない。
ついつい読み終えた端からつらつらと繰り返し同じページをめくってしまうのだが、なるほどこの年頃の子どもというのは、本当にすくすくと成長していくものなのだな、と感心してしまった。叙述係であるところの久高にしても、リンネの成長はどうにも脅威のようである。これまで、彼の彼女に関する記述の中には、異性であることを意識する描写は目立って多くはなかったと思うのだが、今作に関しては所々でリンネの中に少女を感じているようだ。その感覚に対して怖気づかないあたりは、この少年が伊達にこの天衣無縫の少女の相方を務めているのではないことがよくわかる。
きっと、この少年と少女がいずれはぐくんでいく恋や愛というものは、情熱的であったとしても、穏やかなものなのだろうな。まあ、両家の間では既にリンネの嫁入りは確定事項らしいが。それに対して、照れ隠しはしてみせても、否定も反発もしないあたりは、やはり久高は大物だと思う。