イスカリオテ〈3〉 (電撃文庫)

【イスカリオテ 3】 三田誠/岸和田ロビン 電撃文庫

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喪われしはずの英雄の名を名乗り、その所業を模倣する。
片や少女は人形でありながら人の形を模し、兵器でありながら少女の心を模している。
もう一人の少女は人でありながら得体の知れない幼物を内包し、人の在り方を模倣する。
そもそも断罪衣――イスカリオテというものも、聖人の奇蹟を模倣するもの。
極していえば、人そのものすら神を模した人型として生まれたものと規定される。

まるで何もかもがコピーであり、偽物であり、嘘であり、真実などどこにもないかのように、構成されている。
だけれど、模倣するということは決して真実には至らない虚構なのだろうか。
英雄・久瀬諫也の偽物を演じるイザヤは、ただ与えられた役割を全うするために演じていた当初と違い、今の彼は、彼本人の意思と目的によって英雄・イザヤに近づこうと努力し、かつての英雄の在り方を見つめ、思慮しているように見える。
ただ、周囲に正体がばれることを恐れるだけならば、壬生蒼馬に偽物と指摘された際の反応には大いに違和感が残る。彼が指摘した諫也とイザヤの違いに対し、似ていないのはどの部分かに悩むのではなく、自分の何がいったい諫也に対して至っていないのか、と考えている時点で、その変化は明瞭と言っていいだろう。
かつて自由を求めるために諫也を演じていた彼は、どうやら今の生活の中で知ってしまった日常とそれに付随する親しさを得た身近な人々を守るために、守る強さを得るために、かつて英雄と謳われた男を模倣しようとしているように見えるのだ。
そのあり方は、偽物なのだろうか。その意思は、本物でないコピーでしかないのだろうか。
ただ、皮肉なことに彼は英雄に近づくにつれ、より多くの嘘を背負うはめになっている。ひとつひとつ階段を上るたびに、ひとつひとつ増えていく嘘。そして、ついにその身に降りかかる破滅の鐘の音。
前回、ストーリー展開が徹底して主人公たるイザヤを追い詰めつつあると書いたけれど、どうやらあれでまだ物足りなかったらしい。究極にして最悪たるカードをイザヤに振り込んできたわけだ。
そして本物の英雄の影は、イザヤの足掻きなど一顧だにしていないかのように、イザヤが積み重ねてきたものを踏みにじり、彼が登るはずだった頂からイザヤを見下ろしているかのように奪い去っていった。
本物のイザヤはどこへいったのか。本当に死んでしまったのか。死んだとして、その身と魂は天上へと運ばれたのか。
かつて、聖戦で死んだとされていた壬生蒼馬の再臨と変貌。それはおのずと、もう一人の英雄の行方を暗示しているかのようだ。

獣と呼ばれる未知の化け物との闘争だったはずの戦いの行く末は、結局のところ人と人との宿業のぶつかり合いに帰着するのかもしれない。


そんな人が魔に堕ちる中で、本来人ではないノヴェムとバビロンの大淫婦という人形と妖魔たる存在が垣間見せる、人以上に人らしい姿が意味するのは何なのだろう。
なんにせよ、二人の可愛らしさが尋常でないのは間違いようのない事実。
ノウェムなんか最初から可愛い可愛い連発してるけど、今回なんか特別凶悪極まりない。これまでは機械人形らしからぬ無自覚な感情の発露が初々しくて純心無垢で愛らしかったのだけれど、今回のそれは完全に自意識ありの暴走気味の照れ方、恥らい方、慌てふためき方、ちょっと嫉妬したりとか、反則的に乙女。
そして、もう一人の玻璃。淫蕩にして邪悪、というあり方とは裏腹の、俗世の穢れを知らないような幼い少女のような振る舞い、心の動き。この子、ほんとは耳年増でプライドが高いだけで、本当はまだ何も知らない子供なんじゃないだろうかとすら思ってしまう。

毎度繰り返しになっちゃうんだけど、本当に昨今の作者は、ヒロインの描き方がべらぼうに魅力的になったよなあ。毎回こんなにメロメロにされると、けっこう参るんだよね。嬉しい悲鳴ってやつなのかもしれないけど。


とりあえず、ピースは埋まり、駒の配置は終わってきた感じだけど、まだ全体像がまるで見えてこないんですよね。そろそろ、物語の根幹に切り込んでいってほしいところだけれど。
それか、思い切って一巻まるまる日常パートでさらにキャラを熟成させるかw