ぷりるん。―特殊相対性幸福論序説 (一迅社文庫)

【ぷりるん。 特殊相対性幸福論序説】 十文字青/ま@や 一迅社文庫

Amazon
 bk1

これ、桜庭一樹著の【砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない】でも感じたことだけど、著者がふと思い立って一気に、本当に一気に書き上げてしまった作品って、独特の生々しさが匂い立つように感じられるんですよね。
脳内物質がドパドパあふれ出しているのがもろに伝わってくるような、その人の書き手としての根源が剥き出しになったような、憑かれたような勢いが。
なんかもう、読んでる途中で分かっちゃいましたもん、ああ、これ加工してない天然モノだって。【砂糖菓子の弾丸――】と同じ書き方だって。
その意味では、この作品は十文字青という作家の根底がさらけ出されてると言っていいのかもしれない。薄汚れ醜く吐き気を催すような醜悪な現実にのたうちまわりながら、だけれどその果てに辿り着くのは絶望でも闇でもなく、希望であり光であり温かなぬくもりであり、確かに存在する愛であるという、ごく自然な善性の信奉者としてのそれが、ここにはあますことなく描かれている。

桃川みうとの関係の変転。
親友だと思っていた可賀池ノボル
部活の先輩、小野塚那智
姉の綾
妹のうずみ

それぞれの関係は、泥沼に陥り、嫌悪にまみれ、停滞に入り、敬慕を弄ばれ、失望に突き放され、主人公ユラキの日常は徐々に暗転し破滅の淵へと落ち込んでいく。
そのひとつひとつの出来事は、誰にでも起きかねない生々しいまでの現実社会での悲嘆であり、生きていくうえで時に遭遇を免れない醜悪な人間の負の一面だったのだろう。不幸にも、ユラキはその重石を多重連鎖的に背負うはめになり、徐々に彼の精神は摩耗し、心は押しつぶされ、虚無に塗りつぶされていく。
心が、傷つき悲鳴を上げて突っ伏してしまったのだ。
正直、ここまでの彼には同情を禁じ得ない。彼が傷だらけにされた一連の事象の中に、彼の責任だったもの、彼が悪かったものは特に見当たらなかったからだ。とはいえ、だとしたらそれは相手の責任だったのか、というと多少の責はあったとしても、それは価値観の相違やタイミングの悪さ、桃川の場合はかなり性質が悪い部分はあったものの、その大半は不可抗力だったと言っていい。
だからこそ、そこに悪意がなかったからこそ、ユラキが傷つき潰れていく姿は、現実の侭ならなさ、生々しいまでの醜悪さがにじみ出ていたように思えてくる。
だが、そこからすべてのカードがひっくり返されていくのだ。まるでカードに裏と表があるように、現実の醜悪さの裏にこそ、鮮烈な、もしくは仄かな善性が潜んでいるのだと告げるように。

桃川との間に芽生える友愛。
ノボルとの間に始まる、本当の友情。
那智先輩との間で決した、優しい過去の清算。
姉が与えてくれた家族の愛情。
妹が教えてくれた、兄妹愛。

傷つき、苦しみもがいて倒れ伏した彼がそこから見つけたのは、傷つけられたはずの相手から与えられた抱きかかえられないくらいの一杯の愛。
ここには、十文字青という人が作品の根底に込めているモノの原型が、もとも原液に近い形でぶちまけられているように思えてならない。
彼の描く凄惨で残酷で醜く悲惨な物語の数々が、それでも胸を熱くさせ読み終えたあとに温かい優しさの欠片を感じさせてくれるのは、そこに、こんな風に人には、現実には、愛や優しさが詰まっているんだということを信じようとしているからなんだろうと、そう思う。

読み終えるまで、ぷりるんの存在の意味がよくわからなかったのだけれど、こうして考えてみるならば、きっと彼女の存在は、一つの象徴であり、結晶だったのではないだろうか。
拒絶し、無視し、捕まえようとして手に入れられず、傷だらけになって皆の愛情に抱かれて、はじめて見つけられたもの。

それがなんなのかは、読めばきっとわかるはず。

かなり荒削りでぶった切るような強引な部分も目につく、さすがはプロットも何もなく一気に書き上げた代物という雑然としたところも多い作品だけど、それ以上に勢いゆえの迫力とパワーがビリビリと伝わってくる、渾身の一作でした。