紫色のクオリア (電撃文庫)

【紫色のクオリア】 うえお久光/綱島志朗 電撃文庫

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……言葉を失うという感慨を久々に味わわされた。
これはすごい。本当にすごい。
本物の傑作。紛う事なき傑作。完全に抜きん出た、卓抜した凄まじい傑作。
すごいものを読んだ。まったく、凄いものを読んでしまった。
これほど際立ったSF作品にも関わらず、同時にライトノベルとして一つもぶれていないのだから、もはや呆気にとられるしかない。
まいったな、これは。体の芯から揺さぶられたまま、未だにうまくこの作品を咀嚼し切れていない。
正直、これをネタバレなしに語るなど難易度が高すぎるんだが、いやネタバレをしたからといって小揺るぎもしないんじゃないのかとも思うんだが、だからと言ってどんな小さな瑕疵すらも付けることに怖れ慄いてしまうこの感覚を無視できようはずもない。

しかし【少女とロボット】というテーマから第一話「毬井についてのエトセトラ」へと至る時点でその発想のぶっ飛びっぷりはおかしいとしか言いようがないのに、そこからどうやったら第二話の「1/1,000,000,000のキス」に発想が至るのか、もはや常軌を逸しているとしか思えない。なんなんだ、この話の転がりっぷりは。
第二話が始まった途端、第一話のあらゆる要素が起爆剤となり、物語は尋常ならざる速度で加速していく。それは規定されたルールを飛び越え、常識を乗り越え、可能性という可能性を網羅し、人であることすらかなぐり捨て、ただ一つの目的を達成するためにあらゆる観測点を踏みにじり、世界の外へと飛び出していく。
その果ての果てに辿り着いた場所で遭遇したもの、それこそが彼女の誤謬であり到達点であり、回帰であったのだ。
ここで思うのだが、これほど遠大な探求を成し得ながら彼女が目的を達成できなかったのはなぜなんだろう。ここで目的の対象である彼女の言は、あまり全面的に信用できないように思う。なにより彼女は、対象以外の運命はほぼ完全に操作しきっていたからだ。
そして、果てでのあの邂逅。まるでお釈迦様の手のひらの上を彷徨っていたような感覚。
そう、万物理論へと至るまでのあれほどの段階に達した彼女ですら、結局あの子のいた地平には辿り着く事は叶わなかったという事になるんじゃないだろうか。
というよりも、そもそも回帰することで既に辿り着いていた同じ地平に戻ってきた、と言えるのか?
いや、でもそういうメンタル面の話ではなく、存在の階梯という意味ではやはり、ああなってすら辿り着けない断絶があったような気がする。
それでも、着地点としてこうなるのは、正しくライトノベルであったというべきか。でも、IFでのあれを考えると、色々と意味深に推測できることも多々あるわけで……まいったなあ。

とにかく、ものすごい作品である。このドライブ感に巻き込まれれば、それこそどこまでも、人が本来辿り着けるはずのない地平の先まで覗けてしまいそうな恐怖感と興奮に取りつかれることだろう。
繰り返す。紛うことなき、これは傑作である。