テスタメントシュピーゲル 1 (角川スニーカー文庫)

【テスタメントシュピーゲル 1】 冲方丁/島田フミカネ 角川スニーカー文庫

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死ぬかとおもた。

ページ数にして543ページと、厚いっちゃ厚い方ではあるんですがこのくらいのページ数というのは決して珍しいものでもないんです。
でも、読むのにおよそ四時間半掛かった。
自分、中身の詰まった空白の少ない300ページくらいの本は一時間から一時間半くらいで読めるくらいの読書スピードなのですが、恐ろしいくらい時間がかかった。密度がなんかおかしい。情報量が常軌を逸している。間延びした展開がまるでない、皆無。
息もつけない緊迫感を、四時間半連続で味わわせられてみなしゃんせ。普通死ぬ。四時間半、息止めてたら普通死ぬ。
なにこれ? 読死? 死因は読死?
昨日、休日だったのをいいことに午前中からこの本を手にとって仕舞ったのが良かったのか間違いだったのか。まず時間がある間しか読めねえな、と休日読書用に置いておいたのは正解だったのでしょう。
ただ読み終えた後、半日以上、結局気力を消耗しつくして予定していたことを何も出来ないまま終わってしまったのは完全に想定外でしたよ。なにもする気起こらんかったもんなあ。
昼飯も食べるの忘れて読みふけっていたので、お昼食べたの結局三時ごろだったし。
その後、本当に何もせずにボーっと放心状態のままでした。

なんというサイコボムw

正直、昨日から今日仕事中の間まで(マテ)どうやって感想を書いたものか考えてたんだけど、インプットされたものをどうアウトプットしたらいいのか結局見当もつけられなかった。書こうと思ったら幾らでも書きようというものはあるんだろうけれど、どう書いてもこの本の内容についても自分が受けた衝撃にしても陳腐な形でしか表せそうになく、途方にくれている。一部を切り取って見せても、切り取った時点でなんか別物になっているんじゃないかと思えてしまって。
これはたぶん、読了直後の一種の酩酊状態による錯覚に過ぎず、冷静になれば何を大仰に考えていたのかとあきれ返ってしまう状態なのかもしれないのだけれど、今現在はこの有様だ。
恐るべきは、まだこのクライマックスはプロローグもプロローグ。幕があがったところに過ぎないと言うところなのだろう。ビビるしかない。チビりそうだ。
子供たちが苦しんでいる。泣いている。未来を生きるべき子供たちが今に絶望し、現在にのたうちまわり、この瞬間悲鳴を上げて、泣き叫び、疲れ果てて自ら死を選ぼうとしている。生まれるべきじゃなかったと、言いながら。
あの強く、雄雄しく、勇気ある、誇り高き、気高き子供たちが、だ。
もう、めちゃくちゃ痛い。心が痛めつけられる。どうしてこの子たちがそこまで傷つかなくちゃいけないのか。そこまでズタズタにされなければならないのか。
彼女たちの周りの大人たちは、その全霊をかけて彼女ら、一個の対等な人間として認め、扱った上で、守り導こうとしているのに、彼らはその許す限りの力をもって、彼女たちへの責任を果たそうとしているのに、それなのに。

さようなら、ミネアポリス。
今日、あたしは死ぬことにしたよ。

この悲しすぎる、無垢で透明な、消え入りそうな遺言から、この物語ははじまる。これから打ちのめされ続けるであろう痛みを覚悟せよと言わんばかりに。痛みを飲み込む覚悟を決めよと言わんばかりに。

その痛みに耐えてこそ、その先にあるだろう扉の開く瞬間を、彼女たちが出口を見つける瞬間を、見ることが出来るのだと言わんばかりに。
そうして地獄の門を潜り抜け、出口の入り口にたどり着くことが出来たのだ。
泣きそうになった。

このシュピーゲルシリーズの完結を以って、作者冲方氏はライトノベルの執筆を最後とするそうだ。
少女たちに託されていくさまざまな願い、想い。背負いきれずに押しつぶされそうなほど重く、尊く、掛け替えのないものを、彼女たちは受け取り、受け入れ、胸に抱き、心にしまい、魂に宿し、前へと進んでいく。この彼女たちに託していく思いそれこそが、作者が残していこうとしているもの、そのもののように思えてくる。渾身の力を振り絞り、魂をすり潰し、脳みその中の中身をあらん限りに搾り出すようにして、書き残すものなど微塵も残さないつもりであるかのように。
全身全霊とは、この人の執筆姿勢の事を言うのだろう。これが、作家という生き物の、一つの純粋な形、その到達点なのだろう。
その結晶とも言うべき作品が、猛々しいまでに牙を剥いて咆哮している。
さあ、諸君。たかだか一冊の本に、

―――喰い殺される覚悟はあるか?




何気に、意訳されまくったマスターサーバー同士のやり取りが異様に微笑ましくって、これまで単なるスパコンというイメージだったマスターサーバに物凄い感情移入してしまった。此処に来て、これは反則だよ(苦笑