アイゼンフリューゲル2 (ガガガ文庫)

【アイゼンフリューゲル 2】 虚淵玄/中央東口 ガガガ文庫

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空を飛ぶ男の物語というものは、結局三通りの結末にしか辿り着けない。地上に帰るか、空から墜ちるか、空に消えるか。
結局、空に見入られた男たちが辿るのは、そのたった三つの道しかないのだ。
そう考えれば、カールが迎えた終焉というものは、彼の生きざまを目の当たりにした瞬間から、もう分かりきった事だった。それは、定められた宿命と呼んでもいい。避けられない運命と呼んでもいい。それが、摂理だったのだとすら言ってもいいのかもしれない。
カールは夢に惑ったのでも、ロマンに殉じたのでも、現実から逃げ去ったのでもないのだ。彼は、空に引かれ、空に掴まれ、空に落ちていったのだ。万物が重力に引かれて地に落ちて行くように、彼は空に落ちていったのだ。
そもそも、彼は人であることから間違いだったのだろう。愛する人と出会い、心から通じ合う親友と出会い、同じ志をいだいた仲間たちを得ながら、その大切さ、かけがえのなさ、温もりや幸福を誰よりも理解しながら、彼はそれらと相容れる事ができなかった。
でも、彼が愚かだったからではない。彼が周囲の人々をないがしろにしたわけでもない。駄目だったのだ。無理だったのだ。最初から、それらは決して重なることが叶わないものだったのだ。だから、これは仕方のない結果であり、どうしようもない事だったのだ。誰が悪いのでもない、誰のせいでもない。
彼は、還らなければならない所に還っていっただけなのだ。

でも、それはとても哀しいことで、無情感に蝕まれ、ひどく無力感に苛まれる。

そんな彷徨う人間たちをはるか空から見守る龍の眼は、ひたすら透徹として、鏡のように追いすがる人の心を映し出す。それが龍の思念なのか、その者の心の奥底に秘められた想いなのかは定かではない。だが、常に人を見守り、人に自身の在り方を問い続ける彼ら龍という存在は、やはり限りなく神に近いモノなのだろう。

未来という頚木から解き放たれ、人の枠を抜け出して自由を得た彼は空の彼方へと去り、だが残された人々は彼が置いていった残滓を大切に胸に仕舞い、未来へと歩き続ける。
少しだけ驚いた。作者の作風からして、ラストはひどく虚無感の残る最後になるものだと思っていたのだけれど、エリックも、ヘレンも、ゲプハルトも、それぞれに疼く傷痕を抱えながらも、傷の痛みに縛られることなく生きていく。少し、虚淵さんも変わったのかもしれない。それとも、これも作者の中に内包されていた要素の一つだったのか、とヘレンとゲプハルトの間に生まれていた繋がりに仄かな優しさの影を感じながら、しんみりと読後の感慨に浸っている。