龍盤七朝 ケルベロス 壱 (メディアワークス文庫 ふ 1-1)

【龍盤七朝 ケルベロス 壱】 古橋秀之/藤城陽 メディアワークス文庫

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は、ははは、こりゃあスゲエ。読んでて卒倒するかと思った。
先日怪我した指の治療のため、仕事帰りに病院に通っているのですが、その待合で読み耽ってたら呼ばれてるの気付かずスルーしてしまいましたよ。参った参った。

そう、参った。これは、ブラックロッド以来の衝撃だ。これが、古橋秀之だ! これこそが古橋秀之なんだよ、力拳を握りこんで叫びたくなるくらい、素晴らしい渾身の古橋秀之。
これは、ブラックロッドを読んで古橋秀之の何たるかを知ってしまった世のファンたちが、望んでも望んでもなかなかに至ることのできなかった、この人の極地であり、この人の本気であり、他の誰でもない、古橋先生しか描き出せないあの、あのセンスティブが炸裂しまくった、至高の古橋作品でありますよ。
ああ、まさかこれほど古橋成分がギトギトに煮詰まった作品を読むことができる日が来るとは。しかも、幻想武侠小説とキタ。やっぱりね、あのブラックロッドシリーズに衝撃を受けた身としては、以降に出た作品は面白さこそ文句のつけようがないものが多かったんだけれど、でもこの作者に求めていたモノとは、どうしてもズレがあったんですよね。
とはいえ、ブラックロッドはある意味濃すぎた部分もあって、あれみたいなのをもう一度そのまま出されても、ある意味のた打ち回るしか無かったように思う。その意味でも、このケルベロスはイイ意味で洗練されている。物語は研ぎ澄まされ、ケイオスは調律され、然れどもあの空前にして絶後であろう古橋成分はギトギトにつぎ込まれた、これぞ進化した怪物作品だ。
未だブラックロッドを忘れられない諸氏は、疑いもなくこれを手に取るがイイ。アレの、その先が、此処に在る。
しかし、ああ、そうなのかなあ。御大は【IX(ノウェム) 】でこれをやりたかったんだろうなあ、きっと。そう思えば、よくぞここまで突き詰めた、と胸が熱くなる。

それにしても、第一の怪物であるところのラガンの化物っぷりが突き抜けすぎて、もうとんでもないことになってるんですが。人間か? と問うのがあほらしく、魔王だの神だのと評するのもバカらしい。なるほど、これは天災と称するしか他に表わしようがない。否や、天災というのも生ぬるい。これは、そういうものだとしか言い様がない。どういうものだと問い返されたら、こういうものだとしか言い返せない。これを、言葉によって言い表すことが果たして妥当なものなのか。
正直、こんなとんでもないモノを、見た記憶がない。これに類するものを挙げる頃すらできない。幾ら何でも凄まじすぎて、これをラスボスと言っていいのかすら分からない。強いとか弱いとかいう範疇で括れないよ、こんなの。
この文章を読んで、みなさんラガンについて色々と想像を巡らすことでしょうけど、断言しましょう。どんな想像を思い浮かべようと、現物は絶対にそんな想像を遥かに上回るどころではない、まったくの別次元の領域です。普通なら、いやたとえ頭がおかしかろうと、こんなもん想像できないよ!!

そんな想像上にすら存在できない怪物を。こんな馬鹿げた怪物を、倒す怪物の物語がこれだという事実。あれを倒す? あれを? あんなものを?
倒すのだという。これから生まれる三首四眼五臂六脚の怪物が、倒すのだという。
そんな物語がこれから存在をはじめるという事実そのものに、卒倒してしまいそうだ。

そのいずれ生まれ落ちる怪物となるのは、逃げ続けた敗残者であり、化生に堕ちた姫であり、ひたすらに鐘を打つ男の三人だ。怪物によって真っ当な人からハズレてしまった彼らは出会い、出会ったことでまともな人に返りかけ、だがしかし、その再誕の門出を怪物によってたたきつぶされた。
ならばこそ、彼らは怪物になるのだろう。怪物を倒す怪物になるのだろう。果たしてその怪物が、人の心を持つ怪物となるのかは定かではないけれど。
でも、怪物を倒す怪物は、人の心を持った怪物で居て欲しい。廉把も蘭珈も浪尤も、人であることを全部捨て去るにはあまりにも魅力的な<人間>だったのだから。
なんにせよ、続きを。早く続きを!!