B.A.D. 1 繭墨は今日もチョコレートを食べる (ファミ通文庫)

【B.A.D. 1.繭墨は今日もチョコレートを食べる】 綾里けいし/kona ファミ通文庫

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うわああああ、これはヤバイ。とてつもなくヤバい。危険すぎる。危なすぎる。
呑まれかけた。溶かされかけた。
魅入られかけた。

まず、ここまで真にイカレ狂っている話を、常軌に指先の爪先すらも残さず踏外した話を描いてしまっているという時点でおかしい。度肝を抜かれた。しかも新人と来た。このご時世、人間の狂気を主題にして描かれた作品と言うのは決して珍しくはないのですが、その大半は所詮常識に囚われた狂気であり、一生懸命筆者が考えて考えてひねり出した人造の狂気に過ぎないわけです。その多くが造り物然とした部分を消しきれておらず、読み手にある種の白けた冷静さを取り戻させてしまうのです。
ですが中には、時折、造り物だの何だのと言う意識そのものを塗りつぶしてしまうような、おぞましいものも混じっている。本物と呼ぶのもバカバカしい、ただただ描かれ出されている狂気に肌が粟立ち、胃が窄まり、体中がおののき震えてしまう凄まじいモノが出てくるわけです。
これは、間違いなくその一つ。
だいたい、主人公の男がお腹にあんなものを孕んでいる、そう「孕んでいる」という時点でもう、その発想からなにからイカレ狂っているとしか言い様がない。
そして、これがマジでヤバいと思ったのは。本来なら、そうした狂気、イカレ狂った人間の見る景色、踏み外した世界の有様、そうしたものには強烈な忌避感、嫌悪感、おぞましさや恐れを抱くものなのです。そうした、常軌を逸したモノを目の当たりにすることに対して、自分の中にあるものと似ているようでまるで違うもの、決して巡りあうはずのないものだと認識することで、見てはいけないモノを見てしまったという禁忌を犯したその後暗さにこそ、こうした類の作品に対する妙味というものがあるはずだったのに。
この作品、甘いんですよ。
狂気が甘くて、蕩けそうで、食べてしまいたくなる。
ヤバいことに、魅入られそうになる。
最初読みはじめた時、なんでこんなにチョコレートが協調されているのかと頭の片隅に疑問が浮かんでいたんですが、本来吐き気をもよおすような場面で、鳥肌が立ち、寒気に震え上がるような場面で、漂ってくる甘い香りが、浮かべるべき嫌悪感や気色の悪さといった部分を塗り潰していってしまうのです。
凄いよコレ。チョコレートという小道具が、作品全体に恐ろしいまでに影響を及ぼしている。呪術の触媒みたいに、作用してしまっている。あれだけの血生臭いグロテスクさが、粘性の闇が、チョコレートという要素を介することで、妖しい甘さへと変換されてしまっている。
ううっ、なんか胸焼けが……。ヤバいなあ。
狂気の質が、今まで観てきたものとは何か違う。ヒロインたる繭墨あざかにしても、、あれだけハズレておかしくイカレた人間なのに、同時におそろしくまともで良識的で普遍的で常軌に則ってるのです。正気と異常さが、並列して存在している、のではなく、完全に混じり合って溶け合って、全く別の何かになってしまっている。お陰で、異常なようで普通なようでそのどちらでもないという、ワケの分から無い存在になってしまっている。これまでこの手の作品に出てくるキャラクターというのは、正気か狂気かどちらかの側に立っているか、その両者の間で揺れているか、大概そのどちらかだっただけに、このどちらでもありどちらでもないという有様に成り果てているようなキャラクターはあんまりお目にかかった事がなく、読んでいるこっちは平衡感覚を失って依って立つべき足元を見失って、フラフラと酔っ払っているうちに、引きずり込まれそうになっていた。
ゾッとした。ほんとにヤバい、これ。私、甘いもの、好きなんですよ。
主人公たる小田桐勤にしても、作中では極々普通の人間の区分に置かれているし、実際その通りなのでしょうが、同時にこの人も哀しいくらいに踏み外してしまっている人で、その混在振りには酩酊させられるんだよなあ。主人公として依って立つ所が無茶苦茶なんだ、この人は。無茶苦茶というか、見失っているというべきか。それを探求するのがこの物語における彼の役割だったのかも知れないけれど、付き合わされた身としてはこの胸焼けから来るような気持ちの悪さをなんとかしてくれと愚痴りたくなる。巻き添えを食って、地獄の底まで覗かされてしまった、この途方に暮れた感覚と、どこか得体の知れない幸福感は、ほんと勘弁して欲しいと同時にどこまでもずぶずぶとハマッていってしまいそうで……だからヤバいんだって。

またもう、とんでもない化け物が出てきたなあ。戦慄を抑えきれません。