蒼空時雨 (メディアワークス文庫)

【蒼空時雨】 綾崎隼/ワカマツカオリ メディアワークス文庫

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だから、どうしてこれを電撃文庫大賞に送るんだ!!(笑
完全に大人たちの恋愛小説じゃないか。登場人物、もう大学生ですら無いし。これは困る。電撃文庫ってライトノベルの中でもかなり懐の広いレーベルだけれど、さすがにこれを電撃文庫として出すのには躊躇を覚えたんじゃないだろうか。【[映]アムリタ】についても、同じような事を思ったけど、まだあちらは登場人物たちが大学生で、電撃文庫から出ていても、だいぶ毛色は違うと感じても、おかしいとまでは思わなかったと思う。だけど、この【蒼空時雨】はちょっと毛色が違いすぎるもんなあ。もし電撃から出ていたら、かなり戸惑ったと思う。でも、だからと言ってはい残念、とお蔵入りにするにはちょっとこれは名作過ぎた。
なるほど、こういう類のものが多数送られてくるようになっていたのなら、メディアワークス文庫なんて新レーベルを立ち上げようという構想も出てくるわなあ。既存の作家だのみではなく、ちゃんとこうしたレーベルを支えられるに十分な実力を持つ新人が揃っていたから、敢然と打って出たわけか。

電撃文庫を読んで大人になった読者へ というメディアワークス文庫の創刊にあたってのキャッチフレーズ。この作品を読んでその言葉の意味をしみじみと実感させられたようだ。先程、大人たちの恋愛小説、と書いたけれど、この物語の登場人物たちは大人は大人だけれどまだ同時に二十代の若者でもあるのだ。青春を直走った学生時代こそ通り過ぎてしまったけれど、その残り香がまだしっかりと胸に収まったまま、侭なら無い人生を泳ぎだしている世代。
彼らの恋愛には微笑ましさや初々しさといった淡くも夢ごこちの調べはない。彼らの恋愛に求められているのは、人生を共に歩む覚悟。これから先の人生を、一緒に過ごして行く事への真摯さだ。それはやはり、生半可なものではなく、若者たちはその覚悟に向きあうために多大な勇気や決意を必要とし、時に自らを奮い立たせ、時に痛みをじっと噛み締め耐えることになる。
愛だけですべてを乗り越えて行くには、社会のしがらみや人の関係というのはあまりに重たく脆くあやふやなものだ。
それでも、それらを乗り越えるには自分が共に人生を歩むと決めた人との間に育まれた愛こそが必要とされるのだろう。
楠木風夏が夫の不貞を疑っていたとき、かわいがっている後輩の零央にもしもの時は自分じゃダメですか、と問うた時に彼女が返した決然とした言葉が、鮮烈に胸を打った。
「結婚は恋愛じゃない」

恋は素敵なことだけど、恋が成就するということはとても素晴らしいことだけれど、ラブストーリーはそこでハッピーエンドかも知れないけれど、そこから恋人たちはもう一つ、大きな試練を乗り越えなければならないわけだ。大きな覚悟を求められるのだ。
楽しいだけじゃいられない。幸せなだけじゃいられない。思えば、あの有名すぎる結婚の誓いの言葉、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います、というあのフレーズは実に端的に結婚と言うものの真髄を捉えているのだとわかる。
はたして、今の時代、これほどの覚悟をもって人生のパートナー契約を結ぶカップルがどれほどいるのだろう、とふと考えてしまった。
いや、舐めたらいけないね。結婚と言うものをこれからもするつもりがない自分などでは及びもつかないしっかりとしたものを秘めて、今の人々だって人生を歩んでいるに違いない。

そんな、夢ごこちの甘いばかりの恋愛ではないのだけれど、でもこの若き大人たちが紡いで行く愛の物語は、決して冷めた現実を思い知らされるだけの辛辣なお話ではない。子供でしか無かった時代を背後に置き去りにしてきていても、彼らの胸の中にはあの頃の思い出がしっかりと残っている。現実の辛さに幾度も打ちのめされながら、宝物のように大切に守っているのだ。そして、大人になった今だからこそ巡り会える愛もある。6つの短編によって紡がれる大人たちの恋愛物語は、とてもロマンティックで優しい光に満ちている。
その光は、きっと彼らの歩んでいくだろう人生の先々までずっと照らし続けて行くに違いない。
降り注ぐ冷たかった雨はいつの間にかどこか温かいものとなっていて、雨が去った後に現れる青空は清々しいまでに澄み渡っている。そんな読み心地の、とてもしっとりと落ち着いた恋愛小説でありました。