絶望同盟 (一迅社文庫)

【絶望同盟】 十文字青/ま@や 一迅社文庫

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この人が描く、生きることそれ自体に苦しみもがく若者たちに向けたそっと肩を抱くような優しさは、それがあると信じているものではなく、あって欲しいと思い焦がれる願いのように感じられる。
この物語に登場する四人の男女の抱く絶望は、決して精神の死や心の歪みに繋がるような激しいものではないが、その絶望は生きる上において一生ぬぐい去ることのできない類のものであり、何らかの形で妥協を繰り返しながら、生涯付き合い続けなければならないものだ。
彼らはその性癖、その在り様に絶望するというよりも、斯く在る自分自身にこそ絶望している。故にこそ、彼らは積極的に他人と関わることを避け、自らを余人から遠ざけようとしている。いずれ社会に出ることで彼らは否応なく、現在の他人との距離を表向きは解消することになるのだろう。だが、自分自身への絶望が解消されることはない。それは自身の内側へと内包され、露骨に表面に出せないまま、永遠に抱え込むことになる。仕舞い込むことになる。
露骨に表にサインを出す事が叶わぬ侭、生涯絶望を内面に秘めることになる。それは、どれほどの孤独だろう。誰にも知られる事の無い絶望こそ、真の絶望の一つではないだろうか。
それは、とてつもなく寂しいことである。
だが、それは普遍的に起こりうる事でもあるはずだ。世の中の少なくない人たちが、形や性質が違うとしても、このような絶望を誰にも知られぬまま、内面に飾っているのではないだろうか。

そんな中で、彼ら四人は出会った。
思う。
他人を遠ざけながら、普通の人とは違う挙動を示すことで、彼らはサインを出していたのではないだろうか。誰かに、自分の絶望に気づいて欲しい。この絶望を知って欲しいと。
だからこそ、彼らは他人から離れようとしながら、距離を置きながら、この四人同士からは離れようとしなかったのではないだろうか。

作者の優しさは、まさにこの四人が出会ったこと、そのものにあるように思う。
絶望を抱える四人の男女が出会い、各々が抱える絶望を知った。絶望が解消される云々は関係が無い。絶望の事実を共有することそのもので充分なのだ。それだけで、起こりえない奇跡なのである。その上で、彼らは絶望の先に在る希望を、共に過ごし共に在ることで見出すことになる。希望が在ることを、彼らは知るのだ。もう、寂しくはないのだと気づくのだ。
これが、願いでなくて何なのだろう。
微笑ましくも温かい結末が彼らには訪れる。その優しい光景は、どこか憧憬によって成り立っているかのようだ。
その憧れに似た祈りに、私はひどく共感を覚える。


その中で、一人絶望しない小野塚那智。
この第九高校シリーズの中で、彼女の存在は異色であり出色である。
彼女の物語が描かれる時こそが、このいつの間にかシリーズとなってしまった作品群の結末にして集大成が現出するのだろうか。
彼女のことが知りたくてたまらない……。