B.A.D. 2 繭墨はけっして神に祈らない (ファミ通文庫)

【B.A.D. 2.繭墨はけっして神に祈らない】 綾里けいし/kona ファミ通文庫

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ああ、ニンゲンの物語になった。
デビュー作である一巻は、ゾッとするくらいに悉く、そう完膚なきまでにその登場人物の悉くが人の皮を被ったバケモノたちであり、その舞台は現実感がすり切れた彼岸であったがゆえに、余計に強くそう感じる。
という印象を抱いたのは、やはりゲストヒロイン?であるところの白雪が、その異能、出自とは裏腹に、真っ当で常軌に基づいた精神の持ち主だったからだろう。確かに彼女は旧家の当主として世間知らずで頑固で意固地で頭が固く旧弊に縛られたプライドが高い少女だったけれど、その異端の家の出身者として尋常ならざる責務と苦行を負わされ、人として半ば壊された娘ではあったけれど、この殆ど発狂しているかのような世界観の中では、あまりに清涼であり清純であり健やかな心根の持ち主であった。
異常な世界の中で生きるのを、辛いと、苦しいと思える普通の子供であった。
彼女独りがいるだけで、清風が吹き抜けたようにこの物語は人が正気のまま居ていい世界になっていたように思う。
とはいえ、それはあくまで一巻との比較論。それだけ一巻の魔性が凄まじすぎたと言えるのだけれど、随分と普遍に近づいたこの巻だって、同種の作品と比べれば充分常軌を逸している。これを、まともになったと感じる時点で異常なのである。
加えて言うならば、一巻からさらに魔性を濃くされるよりは、多少なりともマトモな方に舵を取られたことに安堵したのも確かだ。あのまま発狂した世界観に邁進されてしまうと、正直どこまでついていけていたか。狂気とは魂を魅入られる魔性であると同時に、やはり恐怖を抱き忌避される対象でもあるということだ。
元よりこの手のゴシックホラーは狂気と正気のバランス感覚が要求される系統でもある。どちらかに傾きすぎてしまうと、途端にエンターテイメントとして逸脱してしまう。
その点、このシリーズのバランス感覚は空恐ろしいほど芸術的であった。発狂した甘く蕩かすような世界観に、人としてその在り方が完全に狂い果てた登場人物たち。同時にこのキャラクターたちは、壊れているにも関わらず普通人としての部分をも喪ってはいないんですよね。主人公の小田桐にしても、雄介にしても、ヒロインにして最もミステリアスな繭墨ですら、その存在の異常さと相反するようにその精神性には平凡性を兼ね備えている。
この彼岸と此岸の間をたゆたうようなキャラクターと、独特の世界の濃度こそがこの作品の特徴であり特異点だと思うんですよね。
だからこそ、どちらかに傾きすぎてしまうのはよろしく無い。その意味では、この巻の趣向は絶妙とは言わないまでも、決して間違ってはいなかったと思う。

それにしても、カラー口絵の白雪は素晴らしいなあ。この二巻のカラー口絵では、二つの場面での白雪がそれぞれ描かれているんだけれど、殆どまったく別人なんですよね。この描き分けは、白雪というキャラクターのこの物語内での変遷を、見事なまでに完璧に描き出しているんじゃないだろうか。ちゃんと内容を読み込んでないと、こうは描けないと思うんだが……。

ちょっと意表をつかれたのが、雄介がレギュラー化してしまったことですか。まさかまさか、だよなあ。こいつは、あのまま人として壊れ、世間から外れながら、それでも飄々と世を渡っていくのかと思ったら……いや、まんまそのとおり生きてるんですけどね。うむむ、考えてみるとそのように生きるのなら、繭墨や小田桐につきまとうのが一番の道なのか。なんでまた、小田桐たちにベッタリなんだろうね、この子は。気に入ったものにはとこトンつきまとう性質なんだろうか。この子、間違いなく人として壊れてるし、メチャクチャ危険なヤツなんだけど、妙に小田桐のこと気に入ってるんだよなあ。その気に入ってる部分というのが、どうも彼の中の人としてまだ壊れていない部分にあるような気がして、興味深い。

結末は、この作品としては異端とも言えるかも知れない優しくも切なく、虚しくも温かいという結末に。白雪というキャラクターを考えると、この着地点も悪くはない。意外とこれって、異常には異常の報い、まともさにはまともな終端という律儀な因果応報さに基づいているのかも。
ああ、でもラストの恋文には、古風な可愛らしさがあって、思わずニヤニヤしてしまったさw
やあ、まあ途中から小田桐くんのことを見る彼女の目があれだったので、色々と勘ぐってほくそ笑んでいたんだけれど、まさかあれほど(彼女みたいな性格の娘にしては)ストレートな行動にでるとは、と意表を突かれた。
かなり多種多芸な娘だし、立場上そう簡単に動け回れないかもしれないけど、雄介みたいにレギュラー化するのかもなあ。