ぼくこい (角川スニーカー文庫)

【ぼくこい】 森橋ビンゴ/lxy 角川スニーカー文庫

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ぼくたちは、そろそろ恋をするべきじゃ、なかろうか?

学校が終わればいつも向かうのは有馬の家で、そこはぼくたち4人の楽園。だが有馬の姉ちゃん(ヤンキー)に「半年以内に彼女ができなかったら、部屋を明け渡せ!」と脅された。オタクなぼくたちは彼女を作れるのか?

恋愛小説、ラブストーリー、恋物語。ハーレクインまで飛び込まずとも、このライトノベル界隈でも、青春時代の恋愛を題材にした作品は多くお目にかかる。恋愛が主題でなくても、異性が顔を突き合わせれば始まってしまうのが恋というものだ。
故になのか、この界隈で描かれる恋物語とは、その始まりは大概にして受動的と言える。男女のどちらかが恋という衝動に見舞われる事によって始まる事が大半だ。まだ恋愛感情にまで至っていなくても、お互いに面識を持ち、友人として、仲間として、親族として、あるいは敵同士として交流を重ね、心をぶつけ合うことで、恋物語ははじまっていく。
ところが、この物語は恋をしたから始まる恋愛物語ではなく、恋をしようと思い立つことによって始まる青春恋愛物語なのだ。
実際のところ、現実の恋愛模様と言うのはむしろコチラのパターンの方が多いのではないだろうか。異性と付き合いたいという情動こそが、異性との接点を手繰り寄せ、異性と知り合う機会を獲得する原動力となるのである。そもそも、異性と知り合わなければ恋など始まらないのだ、残念ながら。つまり、自分から確固とした意志を持って動かなければ、恋愛が始まるどころか機会すら訪れないものなのである。
恋なんてものは、自ら求めようと働かない怠け者に訪れてくれるほど優しいものではないのだ。この作品における、冒頭までの四人のオタク仲間の楽園時代こそが、まさにその状態と言えよう。
有馬の姉ちゃんの脅迫により、彼女を作る活動に勤しむことになった四人であるが、面白いのが突然向きあうことになった、彼女を作る、という行為に対して、四人が四様に違うスタンスを取るところなのである。
実際にクラスメイトにマジに恋をして夢中になる有馬に、可愛いと感じた部活の後輩と近づこうと努力を始める主人公の吉川。結局、恋愛という大事に対して関心を持てなかった西根と板垣。
この内、西根と板垣は当初は恋愛に対するスタンスは共通していたものの、結果的に違う結末を迎えてしまうのだが、そのせいもあって結局恋愛をしようと言う能動的な行動の結果が、見事に四人四様の形で品揃えされてしまうんですよね。この作品が面白いと同時に好感触だったのは、その四者の恋愛模様の結末が、どれも肯定的に描かれていた所でした。本気の恋に裏切られて打ちひしがれるのも、仄かな好意が恋に昇華する前に流れてしまうのも、恋愛に関心なんかなくても恋人が出来てしまう事があるのも、そもそも彼女なんか持たなくても楽しいよというスタンスも、みんなあるがまま、自分がいいと思うなら、納得しているなら、満足しているなら、それならそれで十分いいじゃない、という鷹揚なんだかゆるいんだかわからない、穏やかで自然な感じで受け止めているような描き方が、何気に心地良かったり。
この手の数少ない、とにかくまず恋をしよう、彼女を作ろう、と目論見動き出す馬鹿野郎どもの恋愛話というのは、大概その馬鹿野郎どもの頭の悪い、どうしようもない行動に失笑苦笑してしまうのが売り、みたいなのが目に付くんだけど、これに関してはウメさんという恋愛師匠などという如何にもみたいな人が登場するけど、此の人も意外と無茶苦茶な事は言わないし、主人公の吉川や有馬も目当ての女の子とお近づきになるための行動も比較的常識的なものに終始していて、これが作品のライトでゆるーい感じの雰囲気と裏腹にわりと地に足がついた恋愛ものになっている要因なのだろう。その辺は、さすがは森橋ビンゴさん、と言ったところか。
まあ、能動的な行動の結果が悉く叶わなかったにも関わらず、受動的な方が結局うまく回る、というのは皮肉な話(何に対して?)、になるんだろうか。
でもまあ、自分的には吉川くんの最後の顛末については、キミも単純だねえ、と苦笑しつつ、一番好みでしたね(w

ところで、紅子姉ちゃんのあの特徴的な髪は、アホ毛じゃなくてどう言い繕ってもあれは「触覚」だよなあ(笑
私、「アホ毛」という呼び方よりも昔の「触覚」という方が好きだったんだよなあ、と思い出しながら……。