くるくるクロッキー〈2〉 (電撃文庫)

【くるくるクロッキー 2】 渡部狛/茨乃 電撃文庫

Amazon
 bk1


あはははは、これはひどい。文章がめちゃくちゃだ。読者の読みやすさなどまるで考慮に入れていない暴れ馬。前後の関連性が唐突すぎて油断すると意味も時系列も掴み損ねてしまうくらい、奔放に跳ねまくっている。
小説として、これはちょっとアレな出来だと思う。読んでてなんじゃこりゃ、と挫折する人もそりゃあ出てきてしまうだろう。
でもですね。
でもですよ?
それを考慮に入れてもなお、この作品、自分の中では好感度ストップ高なのだ!
面白いというよりも、この圧倒的な雰囲気に魅入られてしまったと言っていい。一巻の時ですらその傾向はあったけれど、どうやら作者は文章の整調よりも自分の特性をより先鋭化する方向性に舵を切ってしまったらしい。お陰さまで自分などは完全にノックアウトされてしまったのだが、商業的にはどうなんだろう。ちょっと心配だ。
まあ余計な心配は脇においておいて、本作の魅力について語りたいところなのだが、はて、これをいったいどう伝えたらいいものか。迷子小路という神隠しを発端に始まる時間交錯のエピソードになるのだけれど、テーマとしては確かにSFながら実態はというとサイエンスフィクションというよりも或瀬がいうような「すこしふしぎ」の領域、幻想譚とも言うべき情景が広がっている。論理に遠慮してもらった不条理によって紡がれる心象が、この物語の原風景と言っていいのではないだろうか。
時系列が倒錯していく中で、主人公の或瀬と鳴歌の二人、そして彼らを取り巻く周りの人々はその事実を認識しながら、特に慌てふためいたりはしないのである。あやふやになり混迷を深めて行く現実の中を、困惑を覚えながらもスイスイと泳いで行く。彼らに取って、過去から未来に流れていく時間という固定概念は特に意味を成さないように。すべてをあるがままに受け入れて行く彼らは、やはりどこか並人から外れているのだろう。
そんな世界のあやふやさと人物の揺るがなさを現すように、この巻は終始不思議な雰囲気に包まれている。夏の暑さで立ち上る陽炎の向こうで揺らめくかのように、ぼうと輪郭を失い現実感が乏しく時間が停まってしまったような街並み。裏腹に、輪郭が整い何もかもがあやふやな世界の中で何故かはっきりと焦点を結んでいる登場人物たち。彼らの存在感があるからこそ、幻の中に呑み込まれて消えていきそうな儚さが、縫い止められてしまっているのだ。このあやふやな非現実感としっかりとした手応えの残る実体感が混在した、不可思議で圧倒的な作品の雰囲気に、ただただ息を飲むばかり。ここは現在のはずなのに、未来から見た懐かしい過去のようでもあり、遠い過去から見た遥かな未来の時間のようにも思えてくる。そもそも、時間とは過去から未来に一方的に流れていくという概念すら馬鹿らしくなるような、心引き寄せられるあやふやさ。
今も昔も未来すらもこの瞬間に混在するのなら、それこそ永遠というものなのではないだろうか。
そして、間違いなくこの登場人物たち、或瀬や鳴歌、道流に藤堂、真昼や紙魚はその永遠を共有しているのだ。そんな彼らの関係性にも、何故か心惹かれてしまう。
ぶっちゃけ、他人には何を言っているか分からない感想になってしまったと思うが、この感覚は完全無欠に感性に則り生じたものなので、論理的な解釈のしようがなく、感覚的な表現でしか伝えられないのが辛いところだ。
ただ、一巻の段階では或瀬と鳴歌、そして鳴歌からの一方通行の指向という限定された繋がりだったけれども道生、少なくともこの三人に限定されていた、上記の関係性は、この2巻で藤堂というキャラがその存在感と人間関係を詳らかに見せてくれたことに加えて、エピソードの主軸となる雪姫千絵の持つ秘密によって、加速度的に拡大した感がある。特に、藤堂と道流というラインは非常に大きい意味を為したのではないだろうか。
一旦否定され、やり直しになかったことにされたフラグは、どうやらあの最後のやりとりを見る限り修復されたみたいだし。この二人の関係は非常にロマンティックであり、自分としては或瀬と鳴歌のそれよりも好きかもしれない。もちろん、意味の分からない鉄板具合を見せている或瀬と鳴歌の謎の仲の良さも、そのワケのわからなさ込みで大好物なのは言うまでもないですよ?

ともあれ、なんだか得体の知れない方向でハマってしまった気がする。自分としてはこのまま気にせず先鋭化していって欲しいところだけど、評判は良くなさそうだなあ(苦笑

1巻感想