烙印の紋章〈6〉いにしえの宮に竜はめざめる (電撃文庫 す 3-20)

【烙印の紋章 6.いにしえの宮に竜はめざめる】 杉原智則/3 電撃文庫

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これで二巻連続でメインヒロインであるビリーナ皇女が登場しなかったよ!!(苦笑
仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。今の西方編はオルバという男が本物の英雄になるためには絶対に必要な過程であり、地理的な意味以上にビリーナは今はオルバと直接会っちゃだめなんですよね、言わば。今はむしろ会わないことで、オルバの中でビリーナという姫の存在がより大きくなっていっているわけですから。
今回、エスメナが王族として一回り成長するための大仕事をやってのけた上で、オルバの側に踏み込む大きな一歩を踏み出し、ヒロインの一角として存在感を増したわけですけれど、それでもまだオルバの中ではビリーナは色々な意味で特別だからなあ。

復讐を果たした事で、生きる目的を見失い無気力に戦場をさ迷っていたオルバに、前回、国に尽くし民に尽くす本物の王族の姿を目の当たりにしたことで、心理的なブレイクスルーがあったわけだが、それでも彼が皇太子ギルとして、自分が憎んできた貴族たちと同じく、徴兵された挙句に戦死した自分の兄と同じ無名の兵士を生きた人間ではなく戦場の駒として動かしてきていた事実に自己嫌悪を押えきれずにいたオルバ。それでも、そんな嫌悪と奴らと同じ存在になるという恐怖を乗り越え、オルバは再び他者を従え率いる立場へと立つ事を受け入れるのでした。
この時彼は、初めて、そうこの物語が始まってから初めて、自分のためではなく、民のために剣を取ったのです。人々を脅かし、無辜の民の平穏を打ち壊す魔道士ガルダの軍勢を打ち倒し、この地に平和をもたらすために。
とはいえ、彼が与えられた立場は傭兵たち数十人を率いるという格下の傭兵隊指揮官に過ぎず、戦場を左右するような指揮権は与えられていません。以前は皇太子として、自分の考えは誰にも邪魔されず全軍へと命令として通達でき、自由に動かせた。一介の傭兵となった今も、先日は彼の上司となった部隊長や将軍たちが出来た人物であり、オルバの人物を疑い嫌悪しながらも、気に食わない気持ちを飲み込んで、オルバの提言を受け入れ、戦場で共に戦うことでお互いに認め合うことが出来た、という幸福な経過を経ることが出来たのですが、これは彼らがよく出来た人物であったことに起因する幸運でしかなかったんですよね。元々オルバは他人に好かれるようなたちの人間ではなく、なまじ先日の合戦で活躍して名を上げ、連合軍の大将であるアークスに認められ出世した成り上がり者、しかも外国人、ということもあって、今度の戦いでは上の指揮官に睨まれ、自由に動けず意見は聞いてもらえず、という飼い殺しの状態に陥ってしまうわけです。
どれほど戦の流れを読んでも、それを戦場に反映できないという、今まで経験したことのないもどかしさ。無能な上司の下についた、有能な指揮官、という悲哀を嫌というほど味わうことになるわけです。
苛立たしさを隠せずにいるオルバですけれど、ここで腐ったり感情的にならず、もっと上手くやれたはず、相手との関係もここまで拗れずに済ませることが出来たはず、と自分の態度を反省するんですよね。以前の彼なら、ここで暗い情念を滾らせていたのに。
今のオルバが一心に思うのは、ガルダを倒し、この地に平和をもたらすこと。自分のためではない目的が、確固として定まっているために、オルバは儘ならない状況に陥っても決して立ち止まらないのです。自分にできることを最大限にやりつくし、無理矢理にでも手繰り寄せようとする。そんないい意味での強かさと一心不乱さが、今のオルバには備わってきている。
皇太子の影武者をやっていた時から持っていた戦術家、戦略家としての切れ味に、簡単に折れない強靭さが加わってきた、というべきか。そして、目的を達成するためにブレない純粋な信念。復讐のためだった黒々とした暗い炎ではなく、それは激しくも澄み切った青い炎。
そこには、野心の影が一切ないのがまた面白い。この戦争、上手くやればオルバは彼自身が西方地域を強引な形ではあるが、彼が支配権を握れるチャンスが紛れもなくあったわけですよ。無名の傭兵から、一気に成り上がれるチャンスがあった。多分、オルバも分かっていたはず。わかってなかったらあんな行動取らないもんね。でも、彼はここで予てから持っていた類まれなる政治的センスや見識を、自分のためじゃなく、この地のために駆使するのです。
ここで彼が行った行動は、以前の王族や貴族といった支配階級をただただ憎悪していた頃のオルバだったら絶対に出来なかったもの。王族や貴族がシステムとして有効であり、またその立場に立つ人間がふさわしい人格と能力を持っているなら、それは少なくとも現在の時代では最良の平和裏に地を治められる統治システムだ、という現実をこの時の彼はしっかりと飲み込んでいることがわかるのです。

ガルダの内乱が収まり西方に長らくなかった本物の平穏が訪れる可能性が高まった中で、目の前の目標が達成されるオルバが果たして今後どうするつもりなのか、身の振り方をどうするのか考えていたのかはちょっとわからないんですけどね。果たして、メフィウス国に戻るという考えが少しでもあったのか。あのシーンで、彼がギルを名乗ったのは絶体絶命の状況を打破するため、だけだったのか。もしかしたら、少しでももう一度ギルを名乗る覚悟を、心のどこかで持っていたのかも、と思わなくもないんですよね。彼が、まだビリーナのことを気にしていた以上。
ともあれ、オルバがどうするつもりだったかは永遠に分からなくなってしまったのですが。
ラストの急展開は、必然的かつ強制的にオルバに選択肢を迫ることになるのでしょう。もう一度、皇太子ギルに戻るか否かを。
ただ、以前の彼と違うのは、その内面とともに、ギルというメルフィズ皇太子という立場や才能ではなく、オルバという人間を支持し受け入れてくれる仲間と呼べる人たちが出来始めていること。これは、大きいですよ。皇太子時代は、本当に孤独で周りに誰もいなかったオルバを思うと、これは彼の内面の変化以上に大きな変化と言えるのではないでしょうか。
西方編もこれにて一応終了。激動への展開へとなだれ込み、さあ、ますます面白くなってきました!!

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