とある飛空士への恋歌 4 (ガガガ文庫)


はじめて愛した人は、最愛の母の仇だった。
「大好きだから……さよなら」級友の死に苛まれていたカルエルとクレアは、想い出の湖畔で思いがけず再会する。お互いの気持ちを確かめるため、正体を明かしたカルエルだったが、クレアには別れを告げられてしまう──。一方「空の一族」との戦いで多くの仲間を失い、疲弊した飛空科生徒たちは、悩みと苦しみを抱えたまま、再び決戦の空へ向かうこととなる。仲間の思いを受け継ぎ、潰滅の危機に瀕している大好きなイスラを、大切なひとを守るために……。超弩級スカイ・オペラ「飛空士」シリーズ、驚天動地のクライマックスに突入!! 

超弩級飛行戦艦同士の激烈な砲撃戦! となれば、どうしても自分などはそちらに目が行ってしまうわけで……w
興味深いのは、これまで交流どころかその実在だけが語られるだけの没交渉の相手である空族と、兵器思想、戦術思想がまったく同じになっているところ。飛行戦艦のスペックなど、ルナと敵艦ほとんど変わらんもんなあ。
お互いの情報が断絶した勢力同士であろうと、同じ状況下で最大限の戦闘効果を追い求めていけば、自然と似たような形式へとたどり着いていく、ということだろうか。

細かいところに目を向けても、通常の水上砲撃戦と異なる側面が出てきて、これまた面白い。
たとえば弾着観測である。水上での砲戦なら、砲弾の着弾によって発生する水柱でもって着弾地点を観測するのですが、こちらは空中であるために時限信管による炸裂を水柱代わりにしてるのである。なるほどなあ、と思うと同時に、時限信管の設定や三万メートルを超える距離からでも視認できる規模の爆発を起こさないといけないのと、敵戦艦の装甲を貫通しなければならない徹甲弾としての特性を併存させなければならないわけで、何気にこの主砲弾、けっこう開発難しそうだ。

あと、気になったのが砲撃に必要な数値、いわゆる射撃諸元。これが高度や相対速度、距離や風速などはもちろん、気温や湿度についてまで言及しているにも関わらず、肝心の「自転速度(コリオリの力)」については触れてないんですよね。明らかに、わざとこれだけ抜いてある。これは世界の全貌が明らかになっていないため、戦闘地域での自転速度がわからないが故なのか、自転そのものの概念が存在しないのか、この世界はそもそも自転する球体の上にあるものではないのか。些細なことなんですが、色々と想像の余地があって、面白い。

砲撃戦の推移についてもなかなか面白いことになっていて、煙幕をここまで攻撃的に使うのは意外だったなあ。基本的に煙幕ってのは戦況が不利になったときに姿をくらまして逃走するために使うものなんですよ。史上の海戦においても、逃走ではなく攻撃のために使われたケースはちょっと記憶にないなあ。
多分、逃走と違って敵艦隊と交戦しながら動きまわる艦隊運動は複雑な軌道を辿るために、煙幕の効果を制御できないからなんだろうけれど(あと、やはり当事者の心理も砲戦は直接視認しながら、の方が確実というのもあるだろうし)、今回の場合、まず航空戦であるために三次元で艦船が動くことが出来るため、煙幕を展開する巡洋艦群が下方に位置することで煙幕が最大限の効果を発揮できた上に、敵側の妨害がなかったから煙幕を展開し続ける事が出来たのかな。
でも、この飛行艦艇、動力の関係上煙突とか要らないはずだから、独自に煙幕発生装置を搭載していたって事なんだろうか。

でも、本来ならこんな戦術、大して問題じゃないはずなんです。通常、ここでイスラ側も巡洋艦戦隊を投入し、煙幕を展開している敵巡洋艦部隊と交戦することで戦艦同士の砲撃戦の邪魔は排除できる。ところが、イスラ側は弩級戦艦ルナ・バルコ一隻しか戦場に存在しないのが致命的だったわけだ。
この後の水雷艇群の襲撃でもそうなんですけど、どれだけルナが強力でも、戦艦一隻だけというのは対戦艦戦闘以外の局面では極めて無防備なんですよ。駆逐艦でもついてれば、水雷艇などいくら百隻以上の飽和攻撃でも、あそこまで悲惨なことにはならなかったのでは。せめて、行動のフリーハンドがあればマシなんですが、イスラを守らなければならない以上、かのドイツ戦艦<ビスマルク>のように逃げまわることすら出来ない。退けない戦いなわけです。
せめてせめて、制空権さえ確保できてれば違ったのでしょうが、観測機に学生の乗る練習機を護衛につけるしかない、という時点で絶望的。ちうか、制空権のない状態で観測機飛ばすのなんて、撃ち落としてください、というようなものじゃないか。
こうして見ると、ほとんど始まった時点でオワタ、というレベルの戦いだったんだなあ。
まあ戦艦同士の砲戦の場合、こちらに当てるつもりさえなければ、回避運動をしまくることで案外と被弾せずに時間を稼げる気もするんだけどw

そういえば、「二号電探、全損!」、という被害報告の文章が載っていたことからして、レーダーは装備されてたんだ。もちろん、射撃に転用できるレベルじゃなかったんだろうけど。名前からして、伊勢に乗っけたやつの水上警戒用っぽいんだが。これが壊れなかったら、射撃用に使えないか、みたいな展開になったんだろうかしら(笑
疑問ついでに、弩級戦艦なんて言葉が出てくる以上、この世界にもドレッドノートに該当する戦艦が存在したんだろうかw

と、話の本題から外れまくった閑話にだいぶ費やしてしまった。

仲間の死に傷つきのたうち回りながら、ボロボロになりながら、蹲りその場で動かずにじっとしているという誘惑をはねのけ、喘ぐように、這い進むように、前へと進もうとする少年少女たちの健気な、真摯な生きざまに胸を掻き毟られる。
それでも、もう明るく笑うなんてできなくて、以前のように日々を生きることを楽しむことなんかできなくて、暗く沈んでいく雰囲気。それは、誰もどうしようもない、仕方のない空気なんだけれど、それを吹き飛ばすアリーは、存在そのものが輝いてるよなあ。自分だって、死にかけて、酷い目にあって、友達の死を目の前で見て、もう自分も空をとぶことが出来ない有り様になりながら、それでも明るく笑ってみんなを励ますことの出来る強さ。
この娘は別格だわ。ひねくれ者のイグっちが唯一認めているだけある。メインヒロインはクレアかもしれないけれど、クラスのみんなも、カルも、クレアですらも、誰も彼もが彼女がいないと潰れていた、という意味でアリーこそがこの作品の一番の重要人物だよ。
返す返すも、どうやら展開的にアリーはメインヒロインから脱落したっぽいのが残念だ。カルもクレアも、危地に置かれた時にさらけ出される人物の根本は大したものだけれど、普段はどちらもアレな事を考えると、この二人が結ばれることになっても、色々な意味で目を覆わんばかりの有り様になりそうで、心配なんだよなあ(苦笑
もう、アリーが二人纏めて面倒見るしかないんじゃないのか?

イグっちについては、もうちょっと前から伏線は欲しかった。カルを敵視している描写でもあれば、彼の正体が明らかになった時にもっとアッと言わされたと思うんだけれど。
まあ、ツンデレだから仕方ないか(笑

ついにクレアの正体を知るに至ってしまったカル。理屈でどう諭されようとも、憎しみというのはそう簡単に晴らされるものではない。母の仇として、何年も何年も、まだ幼い頃から自分の心で育て育み煮立ててきた憎しみを、その相手がたとえ恋した相手だったとしても簡単に消し去ることなんて出来るはずがない。その意味では、憎しみを鈍らせ懊悩するのではなく、のた打ち回るように狂乱するカルの姿は、共感すら呼ぶものだった。
でも、彼を救うのは最初から最後まで家族だったんだなあ。母は自ら復讐を否定してくれて、義父となってくれたおやっさんは、在るべき姿をその背中で示してくれていた。そして、二人の親の愛情を思い出させてくれたのは、掛け替えのない姉であり妹であるアリー。
そして、ついに過去を克服し、自分の世界の殻を破り、空に飛び立つように「許し」へと到達するカル。彼の許しによって、クレアもまた自らが閉じこもっていた世界の殻を破り、人形ではない、自らの意志で生きる自分を手に入れる。
本当の意味で、自由の空へと飛び立つ翼を手に入れたこの二人に襲いかかる、最後の試練。
カルは、自分のことだけを考えているだけでよかった子供に過ぎなかった時代を卒業してしまったカルは、はたしてこの展開をどう受け止めるんだろう。
無茶をするには、一連の戦争を通じて悲惨な現実を目の当たりにしすぎている。かと言って、粛々と受け止められるほど大人じゃないだろう。
こりゃまた、助けてアリー、だなあ(苦笑 でも、アリーだってこれ、答えなんか出せないぞ。
これはもう、次の最終巻、この物語の結末が気になる、早く読みたい、としか言いようがない!

筆者作品感想