パラケルススの娘 10  (MF文庫J)

【パラケルススの娘 10.永遠に女性的なるもの】 五代ゆう/岸田メル MF文庫J

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「永遠に女性的なるもの、我らを引きて高きに昇らしむ」
ゲーテの「ファウスト」を締める一説を、最後の巻のサブタイトルに持ってくるその理由の如何や何処。
生憎とファイストはちゃんと読んでないんだけれど、あらすじと第二部におけるラストの展開と最後の締めに使われるこの語句に込められた意味を考えると、なるほどこのサブタイトルは強く本編を意識して銘じられた事がよくわかる。
それとも、最初からこのサブタイトルを意識して本編は綴られていったのか。
陰陽をあわせ持つ存在であるクリスティーナ。彼女にして彼である存在の秘めたる闇とその救済。闇のシモンによって築かれる新たな秩序を打ち破る一人の少年の原動力となる力。
そして、戦乱へと突き進む時代の激動。その滅びの果てで、佇む遼太郎の痛みと決意。
そこに垣間見えるのは、男性的なるもの、女性的なるもの。その対比と対立、融和と秩序、愛と恩寵によって救済されるもの。
世界は、愛によって救われるのか。そもそも、愛によって救われるべきなのか。
「永遠の女性的なるもの、我らを引きて高きに昇らしむ」
クリスティーナが問い続けたのはそれであり、遼太郎が答え続けようとしたのがそれだったのだろうか。
最後は全部遼太郎のターン。あの自信を失い、自分に価値を見いだせなかった少年が、ついにこんなところまでたどり着いてしまったのか。皆の助けを受け、このイギリスの生活の中で、クリスティーナのもとで学んだものを信じ抜き、彼は失われようとしていた多くのものを助けることに成功する。
意地を貫き、バカをやり通し、一念石を貫いたわけだ。
でも、彼の一番幸福だった時間は、取り戻す事が叶わなかったんですよね。大切な人達を守ることは出来たとしても、彼らと過ごした時間をもう一度取り戻すことは叶わなかった。
せめて少しだけでも、あの賑やかで穏やかな時間が、日常が過ごせればよかったのに、と最後の胸を張った別れに感動しながらも、寂しさを押し殺せなかった。
今ならば、飛行機でひとっ飛び、ある程度の懐と時間の余裕があれば、欧州と日本の距離は決して遠いものではないのだけれど、この時代においては簡単に行き来出来るものではなく、また遼太郎が負うことになった立場では、もう日本を離れることは難しく、そして何より時代はまさに大戦前夜。世界を火の海に沈めるであろう激動の時代が、足音を立てて近づいてきている。
あの波止場での別れは、殆どの人との間でまさに今生の別れとなるものであったのだ。
そう思うと、やはり胸を締め付けられるような寂寞がよぎっていく。別れは、やはり寂しいものだ。
遼太郎とクリスティーナの間でかわされた約束は、きっと遼太郎が生涯果たし続けるものになるんだろう。あれは、頑固者だから。
それでも、皆が自分のできることを全力で果たしきった、素晴らしい大団円でした。

シリーズ感想