ベティ・ザ・キッド(上) (角川スニーカー文庫)

【ベティ・ザ・キッド(上)】 秋田禎信/山田外朗 角川スニーカー文庫

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うわぁ、なんだろうこれ。秋田禎信という作家の方向性の一つを純化したような作品じゃなかろうか、こりゃあ。
【魔術士オーフェン】の東部編や【エンジェル・ハウリング】のあの空気。乾いた砂が吹きすさび、前も後ろもひたすら何も無い荒野、過去も未来も等しく虚ろ、希望も夢も降り積もる砂に埋れて、栄光も名誉も戯言で、幸せなどというものに価値すら見いだせない、いつか干からびて死んでいくまで生きている。そんな感じの、荒廃とでも言うような陰鬱な空虚感を、より純化させ余計な物を取り払ったかのような作品だ。
なるほど、その方向性を突き詰めて、行き着いた先が西部劇、というのはひどく納得させられる。
フロンティアと呼ばれる活気を一皮剥いたそこに在るのは、地ベタを這いずるような、生きるという事そのものへの耐え難い苦痛だ。西部劇には、そんな無情感が寄り添うように根づいている。それは、秋田禎信という作家の書く「生」と、ひどく相性が良い。
生きるも苦痛、死ぬも苦痛。ならば、楽園はどこにあるのだろう。しかし、これは楽園を求める物語ではない。ベティも、ウィリアムもフラニーも、あのロングストライドだってそんなものは求めていない。この苦痛に満ちた世界に生きる事を疑問にも思っていない。苦痛に抗い抜けだそうともしていない。ただただ、歯を食いしばって耐えている。その先に、赦しも解放も無いと知りながら、在るが儘を受け入れている。
世界に対して、怒りもない、憎しみもない。そんな余裕もないのかもしれない。そんなものを抱くには、それ以外のすべてを投げ捨てなければならない。そんな男が、作中に一人いて、彼は結局何もなせず、自らの怒りに沈んでいった。
結局、人がまともに生きるには、目の前のことにしがみついていくしかないのかもしれない。父親の復讐に駆られながら、女としての自分を捨てながら、ベティは人として大事なものを失わずに居る。鬼になりきれず、さりとて人を捨てられず、迷い続ける彼女の姿は、生きることそのものにとても真摯で、どこか魅力的ですらある。迷いは苦痛であるはずなのに、苦痛に耐えて屈しないその姿にこそ、魅力と色香を感じるというのは、いささか奇妙な背徳感すら感じてしまう。
思えば、秋田作品でこれほど他人の意見を聞く耳を持ち、自制が聞き、正しい判断が出来る素直な主人公にしてヒロインというキャラクターは珍しい。そうしないと生き残れなかった、というのもあるのだろうけれど、ベティのウィリアムに対する姿勢には無邪気な子供めいた反発もなく、かと言って依存するほどの傾倒もなく、彼に対する複雑な胸中を持て余しながら彼の言葉の正しさを素直に認め受け入れる姿には、どこか大人の女を感じさせるものが強く出ているような気がする。
そういえば、クリーオウもミズーもフリウも、少女ではあっても女ではなかった。感情的なものを抜きにして、自分の支えとなっている「男」をじっと見聞する「女」としての冷静さ。これはアザリーにもティッシにも、ロッテーシャにも無かったもので、強いて言うなら【秋田禎信BOX】は「キエサルヒマの終端」におけるクリーオウがそれに近いかもしれない。
そう考えると、ベティというキャラクターは、秋田禎信BOXで描かれたクリーオウを経たことで誕生したようなキャラクターなのかもしれないなあ、なんて思ったり。

彼女が仇と狙い、追いすがるロングストライド、という男もまた興味深い。彼は強かで目端がきき抜け目なく残虐で冷徹で頭の回る悪党であるが、絶対悪というほど途方も無い存在ではなく、無敵というほど強いわけでもない。オオカミというよりもハイエナに近い悪党だ。荒野で一人、自らの腕と頭で渡り歩く一匹狼ですらなく、謎の人物に言いように使われる使いっ走りでしかない。未知というほどの未知もなく、底も知れている悪党だ。
必然、彼を倒して復讐がなされ、物語が幕を下ろす、となるには悪役としての格に劣る。
しかし、無法者として、追われるものとして妙な魅力と存在感がある事は否めない。何故か、目を離せないものがある。
無常と悲哀の上を気だるげに無造作に踏みしだいていくこの男は、もう一人の主人公なのだろう。

そして、戦車である。西部劇でありながら、この作品には戦車が登場する。味付けとしては濃い目のハッタリだが、何気に荒野の西部劇と戦車はよくセットで扱われる題材でもあるのが面白い。あくまで添え物だと思ってたら、一本本格的な戦車戦の話があったので驚いた。
ちなみに、ここで出てくる戦車はメルカバと呼ばれるが、恐らくイスラエル製の主力戦車はモデルではあっても、実際とは大きく異なっているはずである。少なくとも、対戦車ミサイルを搭載したメルカバはよく知らない。戦車に対戦車ミサイルを載せる意味ってないもんなあ。そして、メルカバには砲弾の自動装填装置はついてなかったりするw
それから、培養砲弾とやらの種類は、APDSなんだろうね。現代のAPFSDSでは、装甲への砲弾の侵入角を傾斜させることで弾を逸らせる避弾経始は、殆ど効果を失っているはずだし。
まあ、この戦車戦の話の本題は、ベティの戦う意志と殺す意志のバランスと、ウィリアムとの絶妙な雰囲気を愛でることにある。益体もない話は益体もなく置いておく。
でも、やっぱり戦車はいい。戦闘車両と戦闘艦船と軍用機は、やっぱりいい。素晴らしい。空には飛行機、海には船、そして荒野と砂漠には戦車なのですよ。この拘りこそ素晴らしい。


何も無い荒野、見渡す限りの砂漠、身も心も、そこには隠せるものが何も無い。故に、余計な物がとっぱらわれた剥き出しの人間ドラマが此処にはある。
戻ってきた作者の帰還作としては、やっぱり剥き出しすぎる剥き出しの作品でもあり、なんだか懐旧とも新鮮とも取れる秋田作品を読んでいるのだという感覚に、ホッとさせられた作品だった。
下巻にも当然期待。