サクラダリセット3  MEMORY in CHILDREN (角川スニーカー文庫)

【サクラダリセット 3.MEMORY in CHILDREN】 河野裕/椎名優 角川スニーカー文庫

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「どうして、君は死んだの?」ケイ、春埼、相麻。中学二年生だった三人は、夏の間ずっと考えていた。三人のうち誰が“アンドロイド”なのかを――。すべての始まりを描く、人気シリーズ第3弾!
ケイと春埼を結びつけ、そして唐突に死という断絶によって消えてしまった少女、相麻菫。彼女のことを、以前からケイは野良猫のような少女と表現していたのだけれど、彼の論評には以前から違和感があったんですよね。ケイの回想によって語られる相麻は、気まぐれな猫というよりも、どこか指揮者(コンダクター)のように見えたのだ。ケイは、ずっと相麻を何を考えているかわからない、あるいは何も考えていなくて、好き勝手に振る舞い、皆を振り回す、そんな少女だと思いたかったのかもしれない。思いたかったから、野良猫なんて言い方をしていたのではないだろうか。そう、思いたかっただけ。本当は、分かっていたのだろう。彼ほど聡明でひねくれているくせにまっすぐな少年なら、みたくない部分も見ようとしないまま詳細に分析してしまっていたに違いない。それが、野良猫という表現とケイから見た彼女の姿の差異につながっているような気がするのだ。
或いは、彼女が野良猫で居てくれた方が、ケイにとっては罪の意識に安住できたが故の願望だったのだろうか。
彼がどうしてそう望むと考えるのか。それは、ちょうど相麻が彼を評した言葉をそのまま引用するのがふさわしいだろう。

羊の皮を被った羊。

浅井ケイという少年の本当の姿というものは、一巻で初めて登場した頃から不透明で……というよりも透明すぎて良く見えなくて、複雑なようでシンプルなようでもあり、近づけば遠ざかるような蜃気楼のような、その真意に触れようとするとすり抜けてしまう幻影のような、そんな印象が常につきまとい、上手く捉えることが出来なかったんですよね。
それを、相麻菫という人は、たった一つの「羊の皮を被った羊」という表現と、簡単な意によって、浅井ケイという人間に、手を伸ばせば触れられる、実像を与えてしまったのである。
それでも彼は遠いところでその輪郭をゆらゆらと揺らめかせているのだけれど、彼がそこにいるのだと知っているだけでも、どう動いていくのかと分かるだけでも、何もかもが全く違ってくる。
彼がなぜ、そんな言葉を発したのか、どうしてそんな行動を取ったのか、なにゆえにその選択を選んだのか。それはすべからく、彼が羊の皮を被った羊だからなのである。
だからこそ、彼は相麻の死を自分の責任にしておきたかったのだろう。彼の優しさは、彼自身を許せない事よりも、彼女のことを許せない事の方が辛いことだったろうから。
でも、ケイは彼女を生き返らせた。相麻菫のシナリオに従って。
ここ最近の一連の事件で、彼の傷ついた心に何らかの回復と成長があったから? それとも、彼女を許せなくなること以上に、春埼が傷付いたままでいることが認められなかったから?
わからない。きっと、本人にもわかっていないのだろう。でも、相麻だけは分かっているのかもしれない。彼女は、彼自身すらあずかり知らぬ彼という人間を、たった一言に集約できるほどに理解しきっていたのだから。
彼女は未来を見通していたという。でもそれは、これから起こることを全部知っているだけのはず。ケイのことや、春埼の事をあれほど理解していた理由にはならない。彼らの人となりや、心の内側を、当人以上に分かっていた理由にはならない。
定められたプログラムのまま動くアンドロイドでは、人の心はわからない。
だから。
きっと、誰もアンドロイドではなかったのだ。


この作品の圧倒的な透明感は、蜃気楼のような儚さを連想させるくせに、恐ろしいまでに存在感を持っている。透明感を感じさせる作品はあれど、ここまで独特なものは稀有と言っていいかもしれない。なにより、この作品からは音が聞こえない。ここで広がっている透明感は、同時に静寂であり、沈黙のようだ。人の心の声に耳を澄ませるとき、他の音色は邪魔をしないように息を潜めてでもいるかのように。

2巻感想