イスカリオテ(6) (電撃文庫)

【イスカリオテ 6】 三田誠/岸和田ロビン 電撃文庫

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罪と罰の織りなすアイロニック・アクション、いよいよクライマックスへ!

 賑やかな聖誕祭から一転、御陵市は<獣(ベスティア)>であふれ、あたかも〈怒りの日(ディエス・イレ)〉かのような様相を呈していた。
 イザヤたち断罪衣(イスカリオテ)の使い手たちは街を守るべく懸命の戦いを繰り広げる。イザヤへの気持ち自覚したノウェムも激戦へと身を投じていく。
 その前に立ちはだかるのは、かつての英雄にして<大罪衣(アンチ・イスカリオテ)>を纏う壬生蒼馬。そして黒ずんだ包帯に覆われた謎の少年。さらには〈反救世主〉と呼ばれる存在が姿を現す。
 秘匿されたイザヤの正体とは、そして強大な敵との戦いの行方は!? 緊迫の第6弾!
怒涛の勢いで御陵市が終焉へと潰えていく中で、発覚してしまったイザヤの正体。まるで予想していたのと違う、違うどころか斜め上に壊れてしたその真実に愕然、愕然である。
なんで!? なんでそんな事になっていたんだ!? 普通に、イザヤは諫也の弟の勇哉なのだと疑いもせずに信じていた。カルロの、あのうそつき神父の言葉になんの疑いもいだいていなかった。5巻のラストに映し出された勇哉の墓の意味もまったく考えてなかった。
言われてみると、確かにただの兄弟というだけではオカシイことはいくつもあったんですよね。そもそも、機械人形であるノウェムが、双子の兄弟というだけで諫也と勇哉の違いを認識できず、同一人物と認証してしまったことから、そもそもおかしかったんだ。どうも、ノウェムに人間味がありすぎるので、読み手の意識として本来あるべき機械的な厳密さについても本来ありえない曖昧な結果がでていても良しとしてしまう意識が働いたのだろう。
ノウェムが何もエラーを起こしておらず、まさか、まさかこんな真実が秘められていたとは。
彼が「本当の英雄になりたい」と思うことが、こんなにも哀しい意味を持つことだったなんて。
そうなると、彼、イザヤと人形であるノウェムの淡い恋の物語も、まるで様相を変えてきてしまう。生体部品を使っているとは言え、感情を解さない機械人形でしか無かったノウェムが、人であるイザヤに恋をして、本当の人間のようになっていく。ただ、それだけの、でもそれだけで素晴らしい、素敵な恋の物語だと思っていたのに。そこにあったのは、もっと壊れていて、でもそれ以上に尊い、真実の愛がこの世に生まれようとしている物語だったのだ。
ああそうか、なんで玻璃が一人だけ僅かに蚊帳の外にあったのか。むしろ、あのバビロンの大婬婦の方がイザヤに近しく、その心が寄り添うようだったのも、今となっては理解できる。
これは、人ならざる、人ではない、人になれないモノたちが、お互いに惹かれ合い、人のように恋をして、そうして人になるという話だったのだから、玻璃は傍で見守ることは出来ても、本当の意味でそこに踏み込むことは許されなかったのだ。可哀想だけれど、でも彼女はそれだけ、この三人によって大事にされていたのだろうということも理解できる。
世界は雪崩うつように破滅へと突き進んでいく中で、それに立ち向かう人々は新たな英雄の起立にともない、高潔な魂を輝かせ、絶望を前に絶望せず、毅然と勇躍立ち向かっていく。
そして、彼らを導くのは、ひとりの英雄。人の罪によって造られ、しかし人の心に縁って育てられ、愛することを知った一人の少年。生贄という意味を持つ「英雄」という存在になることを自ら望んだ本物の英雄だった。

もう全部が終わる勢いで、はっきり言ってこの巻で完結するものだと思いながら読み進めていたのだけれど、終わらなかったよっ。ある意味戦いは終わったにも関わらず、終わらなかったよ。
残るは、この物語そのものの決着か。あとがきによれば、それは残る最後の大罪。
出来れば、心健やかにページを閉じられる結末であって欲しい。その期待は多分、裏切られないだろうと思う。

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