B.A.D. チョコレートデイズ(1) (ファミ通文庫)

【B.A.D. チョコレートデイズ 1】 綾里けいし/kona ファミ通文庫

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繭墨あざかの元、腹に鬼を孕み、苦悶の日々を過ごす小田桐勤。彼の前に現われた、"天国"への誘いとは——『僕が「繭さん」と呼ぶ理由』。立花梓は知りたかった。通り魔から助けてくれた嵯峨雄介のことを。彼がいる、違う世界のことを——『私が先輩に恋した非日常』。繭墨あさと、14歳。"繭墨あざか"となる役目を降ろされた彼は、己を失ったまま生きていた——『狐の生まれた日』。「B.A.D.」が詰まった非日常的チョコレートデイズ・セレクション第1 弾!
小田桐もあさとも、彼らに限らず繭墨あざかという知る人は皆、彼女のことを化け物のように語る。その精神の在り方を人から逸脱したもののように言う。さながら神のように、悪魔のように、化生のように。
でも、それって主観なんだよな。果たして客観的に見たとき、繭墨あざかという人はそこまで異常たる人間なのだろうか。勿論、普通の少女でない事は間違いない。善悪の彼岸を超えた所に視点を置く価値観の持ち主には違いない。その死を愛好する性癖が倫理的に歪んでいるのも確かだ。ただ、化け物呼ばわりされるほどイカレているのだろうか。神のように崇められるほど、人からかけ離れた存在なのだろうか。
繭墨あざかと、彼女を特別視する人たちを見ていると、今は亡き富士見ミステリー文庫の【SHI−NO】シリーズをふと思い出す事があるんですよね。あの作品のヒロインであった志乃ちゃんは、繭墨あざかとはかけ離れたキャラクターではあるんだが、他者からのその特異性の見られ方、というものにそこはかとない共通性を感じるんですよね。かつて志乃ちゃんが歩み、帰着したその特異性の変遷とあざかが同じ道を辿るとは思いません。あざかのキャラクター的にも、このシリーズの在り方としてもそれはあり得ない。ただ、他者の目から見た姿と実際の姿の僅かにして大きなズレ、についてはやっぱり似てるなあ、と。恐らく、このズレはあざかにとっては望むべきもの、意識する必要もないくらい当然な乖離として維持されるべきものであって、小田桐くんがもしトチ狂ってその乖離を埋めようなんて思っても、あざかはスルリと躱してしまうんだろうな。
と、なんでこんな話をしてしまったのかというと、この短編だと普段のシリーズ長編よりも、小田桐くんやあさとの思い込みのかたくなさが明瞭に描かれていたが故に、彼らの色眼鏡の分を考慮しながら落ち着いてあざかの人となりを観察出来た気がしたもので。結局、小田桐もあさとも見ないほうが気がつかない方が楽だ、という道に進んでる、ということなのかな。それでも、小田桐くんについては、無意識だろうと何だろうと、あざかの元から離れない分、蜘蛛の糸を離さないようにしているという意味で賢明なのだろうけど。
蜘蛛の糸を離さないようにしている、離せないでいる、という観点で見るなら、より強くその傾向があるのは、むしろ雄介だったかもしれない。三巻で、彼の抱えていたものが暴露されてしまった訳だけど、非日常が介在しない彼の学校生活と、彼に関わることになってしまった普通の女子高生である梓との交流を見ていると、雄介の印象ってガラリと変わりますよね。変わるというか、三巻で知った彼の内面が補強される、というべきか。意図的に壊れている彼は、結局本当は壊れてないんだろうなあ。もしかして彼だけは、後戻りできる位置にいるのかもしれない。初めて、雄介には幸せになってほしいな、と思ってしまった。彼は、まだそう慣れる可能性があるはずだから。少なくとも、自分から蜘蛛の糸を離さない限り。
梓よー、頑張っておくれよ。貴方が頑張れば頑張った分、雄介はそこに留まれるのだから。
でも、具体的な分岐点が出来てしまうということは、そこが壊れれば留まる理由も一緒に消え失せてしまうということ。今度こそ一気に奈落の底に落ちかねない危険も孕んでいるわけで、大事なものを得るというのも、この作品の場合考えものなのかもしれない。怖いですねえ。

怖いといえば……なんか、この作品の登場人物で一番怖い人って、あの小学生な気がしてきたぞw

シリーズ感想