神さまのいない日曜日IV (富士見ファンタジア文庫)

【神さまのいない日曜日 4】 入江君人/茨乃 富士見ファンタジア文庫

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消えたスカーを追いかけるアイたちは、「世界塔」に辿り着く。遙か天を突く巨大なその塔は、アイに不思議な幻を見せる。何でも願いが叶うという「世界塔」だが、石碑にはある兄妹の物語が刻まれており……
これって見方を変えれば、賽の河原の積み石そのものだよなあ。ならば、兄が石を積み上げるのは供養のためなのか。この塔、結局完成することは有り得なかったんですよね。鬼が現れて積み石を崩してしまうことはなかったけど(それとも、ディーの為した所業こそがそれに該当するのか)、積んでも積んでも積んでいる本人はそれを完成とは認められない以上、塔は果て無く上へ上へと登っていくしかなくなるわけだ。それこそ、願いが叶う天国のようなものになってしまうまで。
元々、神様が世界を見捨て、生者が生まれなくなり死者が死ななくなった世界という、ファンタジーな世界観でしたけど、少なくとも今までは確固としたルールに則った世界だったんですよね。それが、この「世界塔」の物語は通常の物理法則や、一定の決まったルールなど完膚なきまでに無視した、イメージが何よりも優先される、観念的なファンタジーの世界観へと変貌している。
そこで描かれるのは、実際に救われた世界だ。
これまで、アイの世界を救うという目的に対して、救うべき世界とは一体何なのか。救うという行為は具体的にはどうしたものなのか、という問いかけが為されてきたわけだけれど、ここで新たに指し示されたのは、人それぞれ個々の中にのみ有されている救われた世界の形だったわけである。なるほど、これは観念的な世界観でなければ描ききれないシロモノだ。敢えて堂々と小細工を弄さずに、ならば世界を観念的にしてみよう、とやっちゃうあたり、この作品は他の何を度外視しても、恐ろしく徹底してアイの目的である「世界を救うこと」を追求していく試みなのだと伺える。テーマの為なら、世界観すらひっくり返して透徹とするぶれない一途さは、ちょっと鳥肌が立ちそうだ。人間、なかなかここまでテーマに対して脇目をふらずに居ることは出来ないものだからして。
そして、ブレないのはアイも同じ。世界観がひっくり返っても、彼女の「世界を救う」という目的に基づく行動には一切の迷いがない。願いが願うだけ叶う世界の中で、彼女は自分が思い描く自分であり続けながら、塔を上へ上へと登っていく。彼女はこの手作りの天国を否定も肯定もしなかったけれど、少しだけツラそうに眺めてた。ディーがこの塔を罵倒したとき、アイは怒っていたけれど、彼女はこの塔と、この願いがカナってしまう場所を創りだしてしまった人の在り方を、どう思っていたのだろう。
考えているのだけれど、よく分からない。その塔を生まれさせるに至った人の意思を肯定し、しかし塔そのものの姿は否定的だったのだろうか。
わかるのはひとつだけ。
塔の中で自分の答えを見つけたのは、アイではなく、きっとユリーだったのだろう。
アイの結論は、塔を登る前と登ったあとで変わったようには見えない。塔の最上でスカーに追いつき、彼女の縋るような問いかけに対する答えを導き出したとき、アイは彼女なりの「世界を救う方法」を既に見つけていたように思う。アイは世界を救うのだろう。でも、きっと誰にも何も与えないのだ。願いを叶えるわけでもない。手を引いて導くのでもない。自決せよと迫るのだ。世界を救うのだと願いながら、自分で決めろと放り出す。なんて突き放した理想論。でもきっとそれは、この世を見捨てた神様から、人間は独り立ちしなきゃいけない、という意味が込められているのかもしれないなあ。
でも、現実的には人は迷ったとき、道を見失った時、手を握って導いてもらいたいものなんですよ。その意味では、ユリーの決意と行動はまさに現実をかみしめた大人の考えで、でも諦観を乗り越えたドラマチックなリバティでした。
大それた理想を叶えるのもまた世界の救済かもしれないが、手に届くものを幸せにする甲斐性も、この滅び行く世界の中じゃあ十分世界を救ってるよ、ユリーさん。何より、アイみたいな子には貴方みたいな保護者が必要だわ。でないと、アイみたいなのはどこまでも突っ走っていってしまうだろうから。
さて、じゃあアリスが抱えているのは、大それた理想なのか、身の丈にあった甲斐性なのか。いずれにしても、それを達するために、彼はアイを見込んじゃったわけですね。この子に「助け」を求めたらどうなるか、大概分かっているだろうに。それとも、分かっているからこそ、なんだろうか。
何にせよ、次は、アリス・カラーの物語だ。

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