花物語 (講談社BOX)

【花物語】 西尾維新/VOFAN 講談社BOX

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悪マーセント趣味で書かれた小説です。――西尾維新

“薬になれなきゃ毒になれ。でなきゃあんたはただの水だ”
阿良々木暦(あららぎこよみ)の卒業後、高校三年生に進級した神原駿河(かんばるするが)。直江津(なおえつ)高校にひとり残された彼女の耳に届いたのは、“願いを必ず叶えてくれる『悪魔様』”の噂だった……。
<物語>は、少しずつ深みへと堕ちていく――
これぞ現代の怪異! 怪異! 怪異!
君を知り、解きはなつための物語。
はーーーー。【猫物語(白)】があれで、【傾物語】があんなんで、【花物語】がこんな作品って、西尾先生は一連のシリーズを全部違うジャンルで書こうとでもしてるのか?
【傾物語】がご存知のようにあんなとんでもない内容の話になっていたので、いったい次の【花物語】はどうなるんだと戦々恐々としていたのだけれど、まったく逆方向に直球できたってなもんだ。果たして、作者がここまでひねくれることなくねじ曲がることなくヤサグレることなく、真っ当に、まっすぐに、愚直なくらいに折り目正しく背筋を正してこのテーマについて描いたのって初めてなんじゃないだろうか。勿論「これ」については作者はこれまでも「これ」をこそ描くことに心血を注いできたと言えるのですが、なんちゅうか独特の表現や遊び、奇をてらい、諧謔、アイロニーをまぶして描いてきたものだから、こうも率直に描かれてしまうとむしろ面食らってしまうくらい。しかし、今回はその率直さ、素直さこそが主眼に置かれていたのだろう。【花物語】なんて麗しいタイトルをつけたのも読み終えた今となっては理解できるような気がする。つまりは、気恥ずかしくなるくらい徹底してそういう話を書くつもりだったのだ。
一見してこれは<悪魔>の話なんだけれど、それ以上に<少女>の話になるんだよなあ。

さて、今回は【猫物語(白)】の羽川翼にひき続いて語り部は阿良々木くんではなく、神原駿河が担当する。羽川の時も一人称で随分と印象が変わったものだけれど、神原の場合も他人の見る目と本人が思い描く自分とのギャップに驚かされることになる。あれで、中身は相当テンション低い子だったんだなあ。色々やらかした過去の傷もあってか、自虐傾向もかなり強い。傍目には何も考えていない楽観主義者にみえるけれど、非常に神経質で繊細で内罰的で、鬱々と内に篭って悩んでしまっているようだった。とはいえ、今巻でも内面描写を排して客観的に彼女の実際の言動を追って見ると、確かにいつもの神原なんですよね。そして、彼女のこうした陰の部分は猿の手の暴走時や、撫子の蛇の事件の際の神原の言動などを思い返してみると、なるほど彼女の内なる形がこんな風だったのなら、あれらの時の神原駿河の姿はあるがままだったんだな、と納得出来るのだ。
でも、決して神原って難しい子じゃないですよね。少なくとも、自分で思っているよりはややこしくないと思う。人間って思考に耽ると自分のことについても自分を取り巻く環境のことについても、自分自身がウンザリするほどネガティブな方向に陥ったり、自縄自縛のこんがらがった考えに囚われたりすることは珍しくないんだけれど、問題はそれが表層にまで現れるかどうか。現実の当人の在り方に反映されているかというと、意外とそうでもない。
神原は盛んに他人の目から見た「神原駿河」と、神原駿河が知っている本当の「神原駿河」には大きなギャップがある、とのたまっているけれども、実のところ神原が思い描く自分自身が現実の「神原駿河」かというと、決してそうじゃない。自分のことは自分自身が一番良く知っている、などというけれど、自分自身のことなんて一番客観性から程遠い主観の中心核じゃあありませんか。得てして、案外と、他人の目から見た「自分」が、現実の「自分」を反映しててもおかしくはないでしょう。それは演じている姿などとうそぶいても、演技と本音の境目なんて有って無いようなものじゃあありませんか。
本当に内外のギャップがでたらめに破綻し、自分も他人も実際の「その人」がわからなくなりかけてたような特異な事例は、それこそ「羽川翼」みたいなのを言うのでしょう。その点、神原駿河は彼女自身が思い描くよりも遥かに健全で、裏表が少なく、彼女を知る周りの人は「神原駿河」を誤解も勘違いもしていないように思います。
つまるところ、起点にして発端にして根底であり基礎部分たる所がいかにウジウジしていようとも、そこから成り立っている神原駿河は、彼女自身が思っているよりも遥かに周りが思い描いている神原駿河でした、という事ですね。って、要約したつもりが余計にこんがらがったよっ。
まあ、若くて青いってことですなあ。ある意味、羽川よりもよっぽど真っ当に自分探しをしてるんじゃないでしょうか。その自覚があるのかはともかくとして。

さて、この【花物語】。時系列的には最後発になるのでしょうか。以降の作品はまた時間を遡るようですし。なんかコイツ誰だよ、というようなのが普通に居たし。いや、マジで誰ですよ。
相変わらず面白いのが阿良々木くんである。羽川視点の時もそうだったけど、端から見る阿良々木ってなんかこう……すごいっすよね(笑 筆舌に尽くし難いとでもいうのか、何やら有り得ない存在感を感じさせる。一般生徒の間でも伝説と化しているようだし。なんの伝説なんだろう。
そもそも、高校を卒業したあとの阿良々木くんがいったいどんなニューライフを送っているのか、という一番興味をソソラれる事案で、もっともピックアップして描かれていたのが妹とのただれた関係、ってのはどういうことだよ! 君、ちゃんと彼女いるんだから、普通にイチャイチャしてなさいよ。なんでカリンちゃんとイチャイチャしてるんだよ。というか、マジでスキンシップの度合いというか深度が以前よりも悪化してるんだが。犯罪的になってるんだが。中学生相手にやっちゃいけないことは、高校生相手にもやっちゃいけない、という当たり前の事実に気づいていなさそうな阿良々木くんが、そろそろ戦場ヶ原さんに刺されないか不安です。現在進行形で刺されてないか?
しかし、変態に磨きをかけつつも、実際に登場してくれると彼が神原にとって頼もしいを通り越し、精神的支柱とも言うべき先輩であることを改めて認識させられる。なるほど、ここまで神原にとって影響力があるってとなると、冒頭で阿良々木とガハラさんが卒業してしまい、自分一人が学校に取り残されてしまったことに彼女がへこみまくり、ブルーになるのもよくわかる。これほどとてつもない「安心」をくれる人から離れてしまう、というのはややも不安定な神原にとっては実際にそうなって初めて実感する、足元のおぼつかない不安、だったんだろうなあ。
こうしてみると、神原もかなり依存傾向の強い子だったというのがよくわかる。だからこその、この物語なんだろう。
季節は春。様々なものが入れ替わり、立ち代わり、過去が去来し遠ざかり、新しい生活が始まる季節。だから、これは少し遅咲きの、神原駿河の卒業の物語だ。

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