B.A.D. 5 繭墨は猫の狂言を笑う (ファミ通文庫)

【B.A.D. 5.繭墨は猫の狂言を笑う】 綾里けいし/kona ファミ通文庫

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「始まりの先には――――――終わりしかないんだよ」
「忌ま忌ましい」燃えさかる炎を前に繭墨あざかは囁いた。麗泉女学園生徒の自殺に端を発する、奇怪な紅い花にまつわる一連の事件。その裏に見えるのは、異界へ置いてきたはずの繭墨あさとの影だった。そして学園で出会った、猫の仮面に黒いマントを纏った少女、神宮ゆうり。少女は芝居じみた格好と仕草、あさととよく似た歪んだ笑みで僕たちに告げる。「――猫は狐の使者だ」と……。残酷で切なく、醜悪に美しいミステリアス・ファンタジー、第5弾!

小田桐くんは、筋金入りだなあ……。彼の選択は、言ってみれば狂気の沙汰だ。正気を疑われても仕方のないものだ。あの繭墨あざかをして、眉をひそめる常軌を逸した選択である。他の誰かが選んだものなら、冷笑し蔑み唾を吐いて、建前だけ苦悩して見せて、現実を直視せず甘っちょろい理想や正義感、信念だとかいう中身のないスカスカの看板を振りかざしたバカの仕出かす気色の悪いルーティーンだと嘲笑うだけだっただろう。
だが、小田桐くんは違う。彼は、徹底的に希望も未来も理想も夢も、日常も友情も愛する人も、いや、愛していたという感情の履歴でさえ歪められ奪われてグチャグチャに踏み躙られた人間だ。心を陵辱され、精神をズタズタに引き裂かれ、絶望というものを死んでもなお引き剥がせないほど癒着させられてしまった人間だ。ささやかな善意や正義感、好意や友情といったものまで利用されつくして、やることなすことすべてが惨劇への引き金となることを強いられ続けてしまった人だった。正直、これほど酷い目に合わされ続けた人を他に思いつかない。
だから、彼の選択は決して信念や正義といったものに基づいたものではないはずだ。彼にはもう、貫く信念や生き様といった強いものは何も残っていない。だから、彼の選択はもっと根源的で、後ろ向きで、むしろ弱さに基づくものなのだ。それは、逃避と言っていい。この期に及んでの、自己防衛の手段の一つと言っていい。ズタズタに引き裂かれ陵辱されボロボロにさせられた心を守るための選択だ。彼は、自分の弱い心を守るために、怒りや憎悪や殺意といった、人間らしく在るための感情をすべて投げ捨ててみせたのだ。本来、まともな人間なら抱いてしかるべき「正しい想い」を、彼は自分を守るためだけに殺した、いや無きものとして無視して見せたのだ。
まさしく、狂気の沙汰である。
しかし、絶望の海に沈められ、生きることに疲れ果て、死に惹かれながら、なおも「死にたくない」という浅ましくも正直であまりにも人間らしい本能をあらわにすることで、人が生きるという事の尊さを垣間見せてくれた小田桐くんという人にとって、その人間らしさから逸脱した、しかし浅ましいまでに人間らしい選択は、まさに相応しいものだったと言えるのだろう。正しいとか間違っているとか、優しさとか誰かのためだとか、そういう事では全然ないのだ。ただ、これは徹頭徹尾小田桐くんが自分の為だけに選んだ選択だったのだ。ただ、それだけの事だ。
彼は、必ず自分の選択を後悔するだろう。さらに、絶望するのだろう。自分の選択が導いた惨劇のありさまに慄き、震え、恐怖して改めて心をズタズタに引き裂かれるに違いない。それでも、もう一度同じ選択肢を前にしても、彼は同じ選択をするに違いない。彼にとって、自分を守るというのはそういう事なのである。
そういう意味で、彼の弱さは筋金入りで、その浅ましさ、愚かさ、無様さ、醜さは人として極まっているのだろう。それでも、彼のそんな「人間らしさ」が何故かどうしようもなく愛しい。その弱さに共感してしまう。きっと彼を否定できるほどに、自分は強くないのだ。

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