雨の日のアイリス (電撃文庫)

【雨の日のアイリス】 松山剛/ヒラサト 電撃文庫

Amazon

それは──ある雨の日の記録。
降り続ける雨の下での、出会いと別れの記憶。

 ここにロボットの残骸がある。『彼女』の名は、アイリス。正式登録名称:アイリス・レイン・アンヴレラ。ロボット研究者・アンヴレラ博士の元にいた家政婦ロボットであった。主人から家族同然に愛され、不自由なく暮らしていたはずの彼女が、何故このような姿になってしまったのか。これは彼女の精神回路(マインド・サーキット)から取り出したデータを再構築した情報──彼女が見、聴き、感じたことの……そして願っていたことの、全てである。
 第17回電撃小説大賞4次選考作。心に響く機械仕掛けの物語を、あなたに。
やばい、これはやばい。これは反則、凶悪すぎて泣きそうだ。もう中盤から暗澹たる気持ちで震えながら読んでいたんだが……いや、そのラストは是非実際に読んでください。
人間は、果たして感情も心もあり言葉も気持ちも通じ合える相手に、ここまで残酷に振る舞えるのだろうか。自分たちが作ったものだからと簡単に壊せてしまうのだろうか。ふと、同じく人間によって作られた被造物が主人公のSF【スワロウテイル人工少女販売処】 (ハヤカワ文庫JA)の一節を思い出した。あの物語では、主人公であるアゲハは、人を同じココロを持った存在を傷つけられない優しい生き物だ、と肯定してくれる。私は、彼女のあの一連の言葉にニンゲンとして救われたような思いになったものでした。だが、この物語ではニンゲンは人と同じ愛する心を持ったロボットたちを無慈悲に破壊……いや、殺していく。作中でも、ロボットは破壊されるのでなく、殺されるのであり処刑されるのであり死ぬのだと描かれている。果たして、ニンゲンはそんな残酷な所業を何も感じずに、当たり前の日常の光景として処理できるのだろうか。
出来るのだろう。恐らく、簡単に出来るのだろう。そして同時に、出来ないのだ。ニンゲンは、それが当たり前の出来事だと認知してしまえば、簡単にその認識を揺り動かすことが出来ない。
そう、ここで殺されているのがロボットではなく、同じニンゲンであったとしても、それがアタリマエのことになってしまえば、誰も気にもしないのだ。
そして、ここで描かれているロボットたちはあまりにも人間的で、ロボットたちが人間の都合で壊されていくさまは、私にはただの「虐殺」にしか見えず、背筋が寒くなった。
まるで、ホロコーストだ。
これは人とロボットの物語のように見えるけれど、もしかしたらもう少し視点を変えて捉えるべきなのかもしれない。これは、「人間」と「人間と認めてもらえない者」との物語だ。あるいは「人」と「奴隷」の物語だ。
それはラストでアイリスが選んだ道にも象徴されているように見える。あれは、当たり前でしかない現実を、普通の人たちが疑いもせずに持っている認識を、少しずつでも揺り動かしていくためのわずかだけれど大きな一歩目を刻んでいる選択なのだから。人とロボットの固定されてしまった関係を揺り動かすための、心あるものは生まれ方がどうであろうと生きる権利となぜ生きるのかという自問を持った「ニンゲン」なのだと知らしめるための。
なぜ生きるのか。
道具として生まれたロボットたちが、自らそれを考え出したとき、既に彼らはただの道具では無くなっている。それをこの世界の人間たちはまだ気づいてすら居ない。それが惨劇を呼び、だけれど人間たちはそれを惨劇とすら認識していない。
それでも世界はいつか変わっていくのだろう。ロボットを人として愛する人がいてくれるのなら。ロボットが人を愛してくれるのなら。やがて、人が「奴隷」の存在を許す事を否定する世界が訪れたように。
アイリスの雨が晴れたように。

素晴らしい物語でした。傑作。