ログ・ホライズン2 キャメロットの騎士たち

【ログ・ホライズン 2.キャメロットの騎士たち】 橙乃ままれ/ハラカズヒロ エンターブレイン

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〈腹ぐろ眼鏡〉のシロエ、いよいよ本領発揮!!
表面的な穏やかさは取り戻したものの、一方ですさんだ空気をまとい続ける<アキバ>の街。教え子たる双子・トウヤとミノリの拘留が発覚し、アキバの情勢に嫌悪感をぬぐいきれなくなったシロエがついに動く!歴戦を制した猛者11人を結集させ、無法地帯アキバに「希望」を取り戻す!!
このあらすじ、微妙に誤解を招く内容だよなあ。ミスリードを誘っている、というのとも少し違うし。
さて、ウェブ版では第一部【異世界のはじまり】の後半部分にあたる第二巻。まさに<腹グロ眼鏡>の真骨頂を目の当たりに出来るスペシャルなパーティーの始まりである。
世紀末の荒野じゃないけれど、どれほど無秩序と混沌に陥ろうとも、ある程度以上の人間が集まっていれば、そこにはいずれ何らかの秩序が生まれてくるものです。でもそれは大概にして、弱肉強食というルール。これまでの社会が崩壊し、秩序が無に帰した状況の中では、必然的に求められるのは純粋な力なのは仕方がないことなのだろう。力さえあれば、ルールのない世界ではどんな有無をも押し通せる。力こそがルールとなるのだ。そして、得てして大きな力は「無私」では居られない。大きな力は、それを拠り所とする多くの意思によって簡単に左右されてしまう。力さえあれば何事もまかり通ってしまうのならば、集団意識は簡単に帰属する集団の利益を優先しようとするものなのだ。
だからこそ、ルールが必要なのである。それも、理知に基づき公平が保たれ人の尊厳を守る事を目的としたルールが。
それこそが【法(ロゥ)】であり、そのルールを至上として構築される社会秩序こそ、法治国家というものである。
本来法治とは、弱者と強者の区別なく、人を人として公平に扱うためのものなんですよね。勿論、それは建前に過ぎないところも多いのですけれど、それでも無法よりかはよっぽどマシ。
シロエかクロエかわからない、白い名前のくせに真っ黒な彼が志したのは、力に対して力でねじ伏せ押さえつけるという剣で剣を折るやり方ではなく、彼のサブ職業「筆写師」が示すように、ペンを以て剣を封じること。まあ、実際には「ペンは剣よりも強し」という有名な台詞を小説の中で述べるフランス宰相リシュリュー卿の如く、悪辣極まる手段を取るのでありますが。清廉な人物に対して「腹ぐろ眼鏡」などというあだ名はつきません。かと言って、彼が性格まで黒い人物かというと、むしろ恥を知る人物であると言っていいでしょう。恥を知るからこそ、理性ある人として恥ずかしさを覚えるアキバの街の現状に義憤を覚え、彼は行動に出たのですから。そして、手段はともかくとしても、彼の意思が伝わったからこそ、あるいは彼が抱く、今のアキバを許容している事への恥ずかしさに共感したからこそ、無政府状態は脱却され、円卓会議は成立したと言ってもいいでしょうし。
それに、彼がこの会議で語ったものは、文字通り理念と言っていいかもしれない。これから、このアキバが寄って立つべき理念と。そう考えると、我々がここで目の当たりにしたものは、まさに新しい国家の誕生の瞬間だったのかもしれない。シロエが語ったものは生まれたばかりの国が寄って立つ為の理念であり、シロエがにゃん太班長の発見した概念から導き出した可能性は産業革命と同質かそれ以上の革命であり、この異世界でアキバが経済活動を活性化させ、ひいてはアキバの冒険者たちに生きる目的を与えるもの。そして、ノンプレイヤーキャラクター(大地人)への既存の概念を破壊するパラダイムシフトと、彼らとの関係性への意識の喚起は、アキバという街に異世界の中の国際を意識させる外交基本方針、なんて風にも捉えられる。

この瞬間、世界の色が変わったように感じた人も多いはず。灰色だった世界観に彩が散りばめられたように。薄暗かった靄が一気に晴れ渡って夜明けが訪れたように。のしかかるようにそびえていた壁がガラガラと崩れ去ったように。狭く閉塞していた牢獄のようだった世界が、地平線の向こうまで見渡せるような広々とした世界へと一瞬にして変化したように。

きっとこの瞬間、この物語はそれまでとは全く違うステージに移ってしまったのです。在り方そのものを変えてしまったと言っていい。
異世界に転移して、そこで生き残るために力を尽くすというサバイバルものから、全く別の物語へと。
それは、これまでの異世界転移モノやゲームの世界に入り込んでしまった、MMORPGタイプではこれまでお目にかかったことがない境地を舞台とした物語。
次の三巻からはじまる第二部【ゲームの終わり】。ウェブ版サブタイトルの意味を、そこで目撃できるはず。


それにつけても、一連のシロエの暗躍は戦慄ものと言っていい。彼が目論んでいた事が明らかになった時の、いやそれを実現する為の手段を見せつけられたあの瞬間の、体の底から震え上がるような感覚はなかなか味わえるものじゃない。体の芯に火がついたように熱くなり、興奮が湧き上がる。血沸き肉踊る、そう彼の繰り広げる政略戦は、そこらのバトルよりもよっぽど血を滾らせてくれる。
一度既にウェブ版で読んでいたにも関わらず、感電したみたいに痺れたもんなあ……あふぅ。

改めて読んで実感しなおしたのが、にゃん太班長の存在感。若者たちの相談役として影に日向に支えとなってくれる人なのですけれど、何気にこの人みたいに自分を年寄りと標榜するのって難しいと思うんですよね。シロエの推察によるとこの人の実年齢は三十代後半から四十代のようですけど、むしろこの年代の方が自分を若造扱いしたいはず。年寄りを名乗るって、それだけ「ちゃんとした大人」であると言ってるようなものなんですよね。それって、若者に頼られ、正しい指針を求めら期待されるということでもある。その上で、自分から手を引き導くような意欲的な行動は取らないよう抑制を求められる。まだ自分を若い若いと言ってるほうが楽なんですよ。若いと言うのは、まだまだ自分はやれると表現していると同時に、自分はまだまだ未熟であると言い訳しているとも言えるのです。自分が自分が、という我を出しながら、でも自分そんなに責任持てないよ、という言い回しにも出来なくもないわけです。悪い見方をするならですよ。別に若さを強調するのが悪いと思ってるわけじゃないのですが。
何にせよ、年寄りを名乗るのって言うほど気楽じゃないんですよね。それなりの覚悟と責任感がないと自信を持って出来ないと思うんですよね。
そんな事を考慮してからにゃん太班長を見ると、この人は見事に年寄りたらんとしていらっしゃる。ちゃんと若者を立て、縁の下に徹し、その上で時に迷う若者に柔らかく指針を示し、どっしりと支えてみせる。これほど頼れて安心できて尊敬に値する「大人」はなかなか居ないですよ。
アカツキや直継、マリ姉やヘンリエッタ。にゃん太班長と、シロエはホントに人に恵まれてる。上や横だけじゃなく、シロエを慕う初心者プレイヤーのトウヤとミノリだって、子供としては破格と言っていいしっかりとした人格の持ち主でしたし。ソロプレイヤーとして長くギルドという集団を嫌って活動してきたシロエですけれど、どうしてどうして人の縁には恵まれ、彼自身も恵まれた縁を決して蔑ろにしなかったことが今日の彼と、彼にもたらされた支えの手を導いた、と言えるのでしょうか。
こうして人の良き部分、人と人との関係の良き流れを見せてくれると、じんわりと胸が熱くなります。しびれるような刺激的な部分だけじゃなく、こうやって穏やかに心潤してくれる所も多いから、この作品好きなんだよなあ。

1巻感想