パーフェクトフレンド (メディアワークス文庫 の 1-5)

【パーフェクトフレンド】 野崎まど メディアワークス文庫

Amazon

「友達」は果たして本当に必要か?
少女たちが贈る《友情》ミステリ!!


 周りのみんなより、ちょっとだけ頭がよい小学四年生の理桜。担任の千里子先生からも一目置かれている彼女は、ある日、不登校の少女「さなか」の家を訪ねるようにお願いをされる。能天気少女のややや(注:「ややや」で名前)や、引っ込み思案の柊子とともに理桜は彼女の家に向かうが、姿を現したさなかは、なんと早々に大学での勉学を身につけ、学校に行く価値を感じていない超・早熟天才少女であった。そんな彼女に理桜は、学校と、そこで作る友達がいかに大切であるかということを説くのだったが……果たしてその結末は!?
 野まどが放つ異色ミステリ、まさかの小学校編登場!


Marvelous!!

くはははははっ、久々にキタコレっ。これまでの作品も面白いのばかりだったんだけれど、ここまでクリティカルヒットされたのはデビュー作の【[映]アムリタ】以来。もう、滅茶苦茶好き、大好き。完全にやられた、最高。
友情をテーマにしたすこぶるハートフルで素敵極まりない物語にも関わらず、同時にこれ以上無い怪作なのである。世の人はもっと「野崎まど」という作家の名前を知っておいた方がいい。稀有な逸材ですよ、この人は。
周りのみんなより、ちょっとだけ頭がよい、という主人公の理桜。てっきり賢しらに早熟なだけの秀才ちゃんなのかと思ったらどうしてどうして。この子の頭の良さというのは勉強が出来る、という方向性じゃないんですよね。勿論、勉学も優秀でそちらの方も同世代の子に比べて図抜けて秀でているのですが、彼女が周りの子よりも頭が良くて大人っぽいのは精神が成熟しているから。もしかしたら、その辺のいい年をした大人よりも余程頭が良くて大人なのかもしれない。肝心なときに垣間見せる理桜の思慮深さや聡明さは、理桜という少女の器の大きさを実感させてくれる。幾らオトナっぽいとは言っても、普段は歳相応の子供なのにね。短気で自己顕示欲があって結構狷介なところもあって表裏のある狡猾でずる賢いところもあって。ほんと、こまっしゃくれた子なんですよ。それが嫌な子という評価にならないのは、この子は絶対に自分の悪意を許さない子だからなのでしょう。そして、感情豊かで喜怒哀楽を隠さないのに、本当に大事な場面では感情を制御しきり、優しい理性に身を任せるから。
理桜は天才なんかじゃありません。正しく、秀才です。でもこの秀才は、秀才だからこそ天才を包み込むほどの抱擁力を持ったのです。この世のすべてを解き明かす本物の天才ですら掌の中に収めてしまう大きさを、ただ一歩一歩地面を歩いて歩いて、その結果ちょっと頭が良くて人よりも物事がよく見える目を獲得するに至った秀才だからこそ、彼女は備えたのです。
秀才と天才だと、どうしても秀才は天才には絶対に叶わないものとして比べられ、評価され、上下に区別して扱われてしまうケースが多いけれど、そういう対立軸で語れるものでも同じ評価基準で語れるものでもないんですよね。
これまでデビュー作から幾多の「本物の天才」を見事に描ききってきた野崎まど作品だからこそ、理桜という「秀才」の存在感はインパクトすら感じたのだ。この巻にも、その世界の真理の狭間を読み解き顕現させてしまう狂気めいた「本物の天才」が登場するにも関わらず、だ。その小さな天才「さなか」を秀才である「理桜」が圧倒するのである。圧倒しただけじゃない、天才という同い年の幼い小学生だけじゃない、きっと大人も含めて殆どの人間が受け入れられないだろう異物を、何一つ損なわせる事無く丸ごと受け入れて見せたのである。
天才を天才のまま受容し、だが彼女が天才であるがゆえに致命的に欠損していた部分を完璧に補い、いや何も手を下すこと無く「さなか」に自分で自覚させたのだ。
この子、理桜は本当に凄い。物凄い子だ。というか、もう滅茶苦茶カッコイイのだ。惚れ惚れする、いっそ惚れそうだ。

と、ここまでで素直に終わっていたら、天才「さなか」を加えた四人の女の子のでこぼこコンビのコミカルな漫才まじりの笑い声に満ちた日常の繰り返しの末に、「さなか」が理桜とやややと柊子の本当の友だちになる。そんなハートフルで微笑ましい友情物語で幕引きだっただろうに……だがしかし、これを書いたのは野崎まどであることを忘れてはいけなかったのだ。

もう、愕然。愕然である。茫然自失である。そこからの展開はもう、ぶん投げるブン投げる。虚脱して魂を引きぬかれたまま、「彼女」と同じように言われるがまま動くしか無い。喪失の痛みに麻痺してしまった心のままに、「彼女」の縋るような行動を追うしか無い。
何が起こったのか、何が起こってしまったのか。あまりに突拍子もない、幻想的のような詐欺を働かれたような顛末に茫然自失が再びである。上塗りである。二度重ねである。
我に返った時にはすべてが終わっていて、解を紐とくにはあまりにも夢心地の出来事に混乱しながらも、絞りきられそうだった心は安堵にまみれて、とにかくよかった、そんな気分だったんですよね。
だからこそ、さなかの語る仮定を聞くのにもあんまり身が入らず、さなか自身も自分が導きだした仮定には納得が言っていない様子だし、結局世の中不思議なこともあるもんだ、でもまあさなかも、あの事件によって自分に足りなかったもの、心豊かにしてくれるものについて身を切るような痛みと共に思い知ったわけで、並べて丸く上手く収まったのだから、ハッピーエンドだし良かった良かった。
そんなホワホワした気分でエピローグを読んでたら、最後の最後に――。

ハンマーで頭ぶん殴られたような衝撃走る!!

う、うわあああああああああっっ!!?

は、犯人はおまえかーーーー!!! あんただったのかーーー!!

いや、いやいやいや、これは驚いた。驚いたなんてもんじゃない、仰天だよ。驚愕だよ。

そ、そうか、そうだったのか。だから、道理で、「さなか」の天然のそれとは違う、急所を狙って穿つような切れ味タップリのボケ倒しに既視感があったわけだ。
でも、え? ちょっと待って。
この人が犯人だったとすると、これ本当に「ハートフル」な物語だったの? 友達って素晴らしいという結論に至る素敵なお話だったの!? 
だって、この人がそんな真っ当な目的の為に動くの? というか、そういうまともな人間らしい発想が存在している人なの? いかん、もしかして何か裏の思惑があるんじゃないかと勘ぐってしまう。前にとんでもない目に合わされているだけに、恐怖感すらぞわぞわと湧いてきた。

とはいえ。
犯人にどんな思惑があろうとも、理桜とさなかの間に芽生えた友情には偽りなどないはず。これが、友達って素晴らしい、という素敵な素敵な友達の作り方のお話であったことには間違いない。
これは心温まる、声を立てて笑ってしまうような最高の友情物語だったのだ。染み入るまでに堪能させていただきました。
特にトム最高。あれはもう笑った笑った。さなか、もうボケのプロですよ。参った。

野崎まど作品感想