丘ルトロジック3    女郎花萩のオラトリオ (角川スニーカー文庫)

【丘ルトロジック 3.女郎花萩のオラトリオ】 耳目口司/まごまご 角川スニーカー文庫

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暴漢たちに襲われる少女・玲儀音(レギネ)をうっかり助けてしまった咲丘。少女はばっちり電波系。会長は怪しい里帰り中で不在、ならば自分たちでなんとかするしかない。咲丘は萩と玲儀音とマゾダチの蜂須と逃走開始!!
これ、登場人物は多かれ少なかれ異常性を内包した狂人であり、変態なのですけれど、わりと明快に段差がありますよね。
一番人間性がまともなのが、各巻でひとりずつ新登場する「本物の怪物」たちであるというのは随分と皮肉じゃないですか。一巻の篠崎さんや二巻のマスターに引き続き、今回登場した人造人間フランケンシュタインの怪物である彼もまた、一つの強迫観念に差し迫られているとはいえ、基本的に一番の良識人でありました。
また健全さでは、実は超ドMの蜂須や、今回登場した玲儀音も大体精神的に健全ちゃあ健全である。いささか人の道を踏み外し、自分を含めた様々なものを偽って歪んだ人生を歩んでしまっている彼らであるけれど、話を追っていくと彼らが今のこういう立場に立ってしまったのは、性格的に歪んでしまったのは人間性の奥に根ざしたまともさ、健全さ故にこそ耐え切れずに、今のような自分になって、自分を仕立て上げて、誤魔化す事にした結果なんじゃないだろうか。結局彼らは自分をねじ曲げ、偽り、人として落ちてさえ、自分の中のまともな部分を守りたかったのだ。
だからこそ、彼らは桜を許さないし認めない、絶対に受け入れないのだ。なぜなら彼女こそ、目的のために蜂須たちがしがみついた「まともさ」をかなぐり捨てて獰猛に失ったものを取り戻そうとした狂人であり獣だからだ。昔は仲が良かったという蜂須。あの様子だと、蜂須は今も桜に惚れているのでしょう。だからこそ、決別しなきゃいけなかったんだろう。今の桜とは絶対に対立しなきゃいけなかった、というのが蜂須・玲儀音と桜の対論を目の当たりにして透けて見えてきた。
しかし、同時にあの対論は、桜の狂気を浮かび上がらせるだけじゃなく、彼女の限界を示したと言える。彼女は確かに目的のために多くのものを投げ捨てた狂人なのだろう。がしかし、彼女の狂気の源泉である動機は、決して理解不能なものではないのだ。まだ多くが語られているわけじゃないけれど、何かを目的として動く、ということはどれほどそこに至るまでの過程が狂気じみていても、あくまで方法論が狂気の産物でしかなく、それさえ度外視すれば、概ね普通に理解の及ぶ範疇なんですよね。
桜は、あくまで理屈の論理の中で泳いでいる存在に過ぎない。それは出島も萩も同様だ。彼らも自分の失ったものを取り戻したいという理屈にしがみつき、それを叶えてくれるだろう桜にくっついているに過ぎない。

本当の狂人は、本当に爪先から頭のてっぺんまで意味が分からないのだ。
誰にも理解出来ない理由で動き、誰にも意味が分からない基準で判断し、誰にもわけがわからないルールで価値を決めてしまう。
玲儀音の予言をまるで理解できなかったのを見て、桜は誰が本当の怪物かわかっていないのだと確信した。彼女はまだ、自分が飼ってしまった本物の怪物を理解していない。全然理解していない。
クビに縄をつけて引っ張っているつもりで自分の首に縄がついているのも、ヨダレを垂らしながら大口をあけた怪物がすぐ真後ろで手ぐすねを引きながらついてきているのにも、すべてを取り戻した瞬間にパクリと頭から怪物に丸呑みに食べられてしまうのだろうことも、何も知らず、察せず、自分の狂気を信じて戦っているつもりなのだ、この人は。
自分が破壊者でも征服者でも復讐者でもなく、ただの「餌」だと気がついていないのだ。彼女は、玲儀音の予言を真剣に受け止め、考えるべきなのに。

ある意味、怪物に一番正しい対処をしているのは、江西陀なのかもしれないね。彼女こそが実に正しく、怪物じゃない彼に餌付けしてるんだから。清宮なんぞに負けるな、江西陀。あんたもう、普通に可愛いからっ!

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