彼と人喰いの日常 (GA文庫)

【彼と人喰いの日常】 火海坂猫/春日歩 GA文庫

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「初めまして。大神黒衣と申します」
 突如転校してきたその美少女は、高校生神咲十夜の“自称婚約者”。だがその正体は……。

『月に一度、人を喰わせてもらう。それがわしとの契約じゃ』
 殺されかけていた十夜が、助かるために契約してしまった人喰いの妖だった!

 契約に従い、毎月一人誰かを彼女に喰わせなければいけなくなった十夜。
「大神さんは、十夜くんとはどういう関係なんですか!?」
 だがそんな事情とはお構いなしに、幼馴染の来海立夏が黒衣に話しかける。

 これは、ある日妖と暮らすことになってしまった少年の“板挟みな日常”の物語。
『末長く、よろしく頼むぞ我が主』
第3回GA文庫大賞奨励賞受賞作!
へぇ……これはなかなか。舞台装置のバランスの置き方、特に黒衣の立ち位置がフラットなのが面白い。彼女、人を喰う事について肯定的でも否定的でもないのだ。
もっと悪意を以て契約者の苦しむさまを求めてくる悪魔なら、その悪意を跳ね返す苦難を乗り越える物語になっただろう。逆に彼女が人を喰う事に拒否感を示し苦悩しているのなら、彼女を苦しみから解放するための救済の物語、或いは諸共に奈落に落ちる美しい悲劇になり得たかもしれない。
しかし、黒衣はそのどちらでもないんですよね。わざわざ策略を巡らして契約者を苦しめようとはしないし、かと言って人を喰う事に嫌悪感も忌避感も持っていない。人を喰わなければ正気を逸して暴走してしまうので、人を喰わないという選択肢はない中で、彼女は自分の生存も含めて存在の維持に対して全く執着がない。かと言って世を儚み生に倦んでいるわけでもなく、人の足掻くさまを享楽的に眺めている。
すなわち、彼女は「一月につき一人、誰かを指名して自分に喰わせる」という条件を提示するだけで契約者に何も押し付けず、彼がどう判断し行動するかを純粋に見物しているだけなのだ(誘惑という名の示唆はするが)。
この条件の肝は、喰っていいと指名した相手をわざわざ黒衣のところまで連れてきたりなどしなくてもいい、という所なんでしょうね。ただ、指名するだけで十夜は何もしなくていい。その相手がまったく知らない相手でも構わない。実際、彼が最初に指名した相手は死刑判決を受けた死刑囚でしたし。

殺すのは黒衣である。喰らうのは黒衣である。手を下すのは黒衣である。十夜は何もしないし、指名者が殺され喰らわれる現場を直接でも間接でも見る必要もない。ただ、指名した相手がどこかで勝手に死ぬだけだ。何の関わりもなく勝手に死ぬだけなのだ。
しかし、殺す意思を示したのは。彼の死を決定したのは間違いなく、十夜その人の選択であり意思なのである。
勿論、その事実をどう認識するかはその人次第だ。これは不可抗力で自分には責任などない、仕方ないことなのだと目をそらすことも可能だし、途方も無い世界中を好き勝手に出来る力が手に入ったと浮かれる事も出来ただろう。何もかもが黒衣が悪い、と全ての責任を彼女に押し付け、憎しみと共に彼女を葬り去る事も出来たはずだ。
しかしこの少年が選んだのは、人殺しとしての罪を背負い、しかし贖罪から背を向けて自分の望んだ光景の為に黒衣を受け入れることだった。
この選択を見ると、神咲十夜は自分に対して厳しい子だったんだなと見ることも出来るだろう。或いはプライドが高いというべきか、はたまた責任感が強い子、と言うべきか。それらを引っ括めて、みっともない自分を許せない格好つけ、と言ってしまっても良いのかも知れない。
いずれにせよ、彼は黒衣が提示してくれた楽に責任から逃れられる方法を蹴っ飛ばし、人喰いの飼い主として生きる事を選んでしまった。さて、それをどういう感情で受け止めるべきかは難しい。愚か者と嘲るのも、過酷な運命を歩む事を選んだのを憐れむのもなんだか違う気がする。敬意を抱くにはあまりにも独善すぎるし、自業自得と突き放すには余りにも彼には最初に開示された選択肢が少なすぎた。
まあそれらを引っ括めて、これが彼の選択だった、と言うことなのだろう。少なくとも、黒衣は幾つもの結末の中からわざわざ自分と生きるという一番あり得ない道を選んだ主人の選択を、嘲るでも呆れるでもなく、純粋に嬉しいと受け止めているようだし、彼が割り切れるのならまあ決して悪い選択じゃないのかもしれないな。