悲鳴伝 (講談社ノベルス)

【悲鳴伝】 西尾維新 講談社ノベルス

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西尾維新史上、最長巨編――西尾維新がはなつ、新たなる英雄譚。地球の悲鳴が聞こえるか。

彼の名は空々空。
どこにでもいない十三歳の少年。
風変わりな少女、剣藤犬个が現れたとき、
日常かもしれなかった彼の何かは終わりを告げた。
ひどく壮大で、途轍もなく荒唐無稽で、
しかし意外とよく聞く物語は、
そんな終わりを合図に幕を開ける。
人類を救うため巨悪に立ち向かう英雄は、
果たして死ぬまで戦うことができるのか!?
うわぁ……また、なんつー悪趣味極まるものを書いたもんだなあ、と思わず感心してしまうほど、うん、悪趣味としか言いようの無い物語でした。近年、作者はわりと善性に寄り基づいた話ばかり書いてきていたので、このへんで一度ちゃぶ台ひっくり返したかったのかしら。
とは言え、この話は悪趣味ではあっても、人間の悪意とか醜悪さとか邪悪さを露悪的に見せつけて歪んだ悦を得るようなのとは、やっぱりちょっと違うんですよね。そういうダークさからは距離を置いているように見える。むしろ、酷さを滑稽に見せようとしている節すらある。戯言シリーズ、特に零崎編の悪徳やズレた倫理観も相当に滑稽な悪趣味さ加減でしたけれど、本作は正義のヒーローもののテンプレを微に入り細を穿つ形で善悪を鏡面反転させていくやり口といい、より悪趣味を洗練させたようにすら伺える。少なくとも、魔法少女リスカあたりから比べると、相当に洗練されている。
でも、一番肝心な部分では、愛と正義を貶めたりしないんですよね。どこがヒーローなんだ、英雄なんだ、と首を振りたくなるような主人公の在り方をして……悪の秘密結社が正義の味方を代行しているような醜悪な秩序の規律を前にして……それでも最後に浮かび上がってくるのは愛の讃歌なあたりに、西尾維新という作家の一貫性を見る事ができるのではないでしょうか。
情動が湧かず、感動することもなく、厳密な意味で感情すらないのではないかという主人公の空々空。彼には本当の意味で善悪などの概念も持たず、正邪の分別もなく、ただ周りに合わせて生きているだけの、空っぽの器だ。それも、底が抜けて何を注いでも満たされない空っぽの壊れた器である。そんな破綻した人間にも、愛はあったのだろうか。人が人を好きになる当たり前の想いが存在したのだろうか。ともすれば、彼に向けられた少女たちの愛情は、彼に何の影響も与えずに素通りしていってしまったようにも見える。でも、本当に彼の中には何も残らなかったのだろうか。そこに一抹でも愛の痕跡を探そうとする行為は無為の事なのだろうか。
感動を持たない人間に、愛は存在しないのだろうか。
そんなはずはない。殺人鬼にも、虚言使いにも、刀にも、完全体にも、裸エプロン先輩にも愛はあったのだ。ならば、心動かない英雄にもそれに相応しい愛の形があったはず。あったはずなのだ。
何より彼には、意志があり、恥を持ち、求める思いがある。ならば、それは心があるということだ。たとえ揺れ動かなくても、そこに心はあったのだ。心があれば、愛がある。演じた先に、真実はある。
彼は人類にとってのヒーローではなかったかもしれないけれど、一人の少女にとっては間違いなく英雄であり、ヒーローであり、位相が違ったとしても愛を交わした相棒だったのだろうと、そう思う。
だからこれは、大嘘でも戯言でもなんでもなく、紛うことなき英雄譚だ。一人の少女の悲鳴を止めた、小さなヒーローの物語なのだろうと、そう思う。