彼と人喰いの日常 3 (GA文庫)

【彼と人喰いの日常 3】 火海坂猫/春日歩 GA文庫

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「主も随分と慣れたものじゃのう、人を殺すことに……ケケケ」

 美しき人喰い・黒衣との契約に従い、ついに四人目の生贄を捧げた十夜。
 徐々にこれが"日常"だと受け入れつつある自分に絶望する日々。
 そんな全てを諦めてしまったかのような少年に、それは何気なく、ごく当たり前のように飛び込んでくる――

「十夜君おはよう」
「立夏? なんで…………?」

 そこには十夜との記憶を失ったはずの最愛の幼馴染・立夏の姿が!?
 果たしてこれは、十夜が待ち望んだ夢なのか、それとも一体……?

 これは、人喰いの妖とその主である少年の"無情な日常"の物語。
「フム、じゃから人間は面白い」
この少年の何が最低かというと、人食いに生贄を捧げている事でも幼馴染に嘘をつき人生を歪め続けている事でもなく、自分を罰するために自ら最低であり続けようとしていることなのだろう。
今回の十夜の立ち回り方というのは、愚鈍で現実を省みず自分にとって楽な方、都合のいい方に物事を受け止めて、悪いことは思考停止して考えないようにする、という最低極まる現実逃避だったのですけれど、何が最低かって、殆どこれわざと分かっていてやってるって事なんですよね。無意識に現実逃避してたと装ってますけれど、実際は意識的に自ら愚鈍たらんとしてあんな振る舞いをしていたとしか思えない。
何故そうしたかというと、そのほうが最低だから。目の前の甘い蜜に吸い寄せられて人殺しにも関わらず、何事もなかったかのように甘い現実を甘受することが、より最低の人間らしいやり方だから。
そうやって愚鈍になって真実から目をそらし、愚劣な幸福に甘んじることで、より自分の最低性を実感でき、噛み締めることができる。まったくもって、自己満足の極みである。悍ましい愉悦である。
最初から、現状維持に戻ることは決まっていて、その為に払う犠牲にためらいなんかないくせに、ただただ自分のために回り道をした結果が、あの無情の結末なのである。
ハッキリ言って、最初の立夏を見舞った変化が発覚し、あからさまにその原因と思しき葵が登場した段階で行動に出ていれば、あの犠牲は回避できたかもしれない。だが、十夜がやったのは、葵が一線を越えてしまうのをただただ見つめていただけだ。待っていただけなのだ。
虎視眈々と、という冠を付け加えたくなるほどに。
彼は常に自らが起こす悲劇を嘆きながら、その悲劇を回避しようという動きを見せない、どころか結果として自ら招いてすらいるように見える。自らが、より最低であらんと欲するが故に。
そうして、自分がああ自分はこんなにも最低な人間なんだ、と自罰し自虐することで……

この少年は自分を許し続けている。

そう考えるのは、ひねすぎだろうか。
この点は、朱音も同じだと思っている。十夜を人殺しと悪し様に罵りながらその実何も行動しない。悪を断つでも防ぐでもなく、悪の存在を認めているだけで自分が正しいことをしている気になり、自分が何もしてない事から目を逸らして自分を許し続けている、朱音は十夜とさして変わらない最低の人間ではなかろうか。
自らの価値観だけに拘泥し、それ以外をまるで認知すら出来ない善意の人だった葵といい、見渡す限り、愚劣極まる人間ばかり。黒衣は、こんなのが楽しいのかねえ。面白いのかねえ。まったく、悪趣味な化け物だ。

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