烙印の紋章 11 (電撃文庫 す 3-25)

【烙印の紋章  11.あかつきの空を竜は翔ける(上)】 杉原智則/3 電撃文庫

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英雄への道を描く
戦記ファンタジー、第11弾!

 勢力を増すオルバの軍勢。もはや看過できなくなった皇帝は、オルバを帝都へ招くという強行手段に出る。
 一方、隣国エンデには、戦巧者の『小覇王』カセリア率いる東の大国・アリオン軍が迫るという事態に陥っていた。
 アリオンの野心はエンデに留まらず、必ずやメフィウス、ガーベラにまで及ぶ──。その危機を前に、オルバが、そして負傷をして祖国ガーベラに帰国したビリーナが行動を開始する!
たとえ、自分が死しても、現在生まれつつあるこの時代の流れが途切れぬように……。自分が死んだ場合すらも織り込んで動くオルバには、もはや私心というものは無いに等しい。その心に根付くのは、国の行く末への想いであり、民の安らぎへの想いであり、すべては人の上に立つ高貴なるものの責任であり義務感であり、赤心そのものだ。
オルバの、そのついに辿り着いた王としての境地を、誇りを、生き様を目の当たりにした時、涙がこぼれそうになった。感動に、打ち震えた。
彼は……オルバは生まれながらの王族などではない。国に対しても、民に対しても責任を持たず、それどころか大切な物を全て奪われ、己が身の上すら剣闘奴隷の身分に落とされ、底辺を、地べたを這いずってきた男だ。その心根は、自分から全てを奪い去った貴族や王、何より国への憎悪と復讐心に満ちていた。
彼には、生まれながらに高い地位を与えられ、それ故に自分に供する者たちに与えられたものを還元する義務である、高貴なるものの義務など、まったく関係がない。従う義理も、何もない。
その彼が、オルバが、現在、自らの死すら厭わずに、歯車の一つのように歴史の流れの中に組み込み、一切の私心を捨てて、まるで本物の貴族のように、王族のように生きて死のうとしているのだ。
今この瞬間を生き延びることだけで全てが完結していた剣闘士奴隷が、自分の死んだ後の世界のことを、想っているのだ。
私を殺して公に生きろと、幼い頃から教育されて育った存在だったならまだわかる。だが、この男は全てを奪われたマイナスから、たった一人で孤独に戦い戦い戦って、その末に、野心でも欲望でもなく、王の責務を選んだのだ。自分で、その生き方と死に方を選びとったのだ。
その境地に至るまでの過程を、彼の波乱万丈の人生をずっと目の当たりにしてきてなお、今のオルバの姿は夢のように信じがたい。こんな男が存在することが、信じられない。

今のオルバの魂は、完璧なまでの王の魂だ。
だがしかし、しかし、しかしっ、それなのに、彼の、オルバの真実の姿は、その正体は、皇太子ギル・メヴィウスのニセモノであり、最低の身分の、人以下でしか無い、剣闘士奴隷でしかないのだ。
どれほど乞い願おうと、どれほどその在り方が王となろうと……オルバは本物のギル・メヴィウスではないのだ。
その事実に直面した時の、彼の慟哭が、何故自分が本物のギル・メヴィウスではないのかという呪詛が、否応なく胸を貫く。その悔しさが、無力感が、胸を掻き毟る。その涙に咽んでしまう。

ああ、だからビリーナなのか。
彼女だけが、オルバを本物のギル・メヴィウスに出来る。オルバを、ニセモノではない本物に出来る存在なのだ。彼女に認められ、許されて初めて、オルバは自らを本物と認めることが出来る。
だからこそ、オルバから真実を告白することはなかったのだろう。それは、同時にビリーナに許しを請う事になってしまう。それではダメなのだ。あくまでビリーナが自分で気づき、自分で考え、その上でオルバという剣闘士奴隷は、ギル・メヴィウスという皇太子であるのだという真実を認め、彼がギルとして生きることを許し、ともに歩むことを選んだ時にこそ、オルバは心の底から王となれる。本物のギル・メヴィウスという呪縛から逃れられるのだ。
これは、剣闘士としてのオルバを知らないイレーヌでは絶対に出来ない、オルバを王ではなく駒としてしか見ようとしない、ただ自分の欲望の対象としてしか見ない彼女では絶対に出来ないことである。
剣闘士としてのオルバと身近に接し、皇太子ギルとしてのオルバと心からぶつかり合い、何よりオルバが王として生きることを志したきっかけであり、憧憬の対象であり、彼女のように在りたいと願った相手であるビリーナ以外では、絶対に叶わない事なのだ。
オルバという存在を、誰よりも考え、見極め、理解しようとしたビリーナ姫でなければ、彼女でなければならなかったのだ。

その時、初めてオルバは孤独の檻から、解き放たれる。

【てのひらのエネミー】以来、杉原智則作品の主人公は常に孤独だったように思う。たとえ友情をかわしても、恋情を向けられても、愛情が生まれても、作者の描く主人公は本当の意味で理解者が存在せず、ひたすら孤独の中に生きていた。
寂しい存在だった。
今、私ははじめて、作者の描く物語の担い手が、孤独でなくなる瞬間を目の当たりにしようとしているのかもしれない。
ようやく、ようやく、その時が訪れようとしているのかもしれない。
この予感が、叶うことをただただ願うばかりだ。

杉原智則作品感想