疾走れ、撃て! 7 (MF文庫 J か 3-25)

【疾走れ、撃て!7】 神野オキナ/refeia MF文庫J

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「……華社曹長、あなたは田神少尉が好きですね?」「……はい、少佐」――。富士山麓での激戦から一転。クリスマスを前に人々が浮かれ気分のころ、田神理宇はリヴァーナを守って戦った学生兵士としてメディアの取材を受けていた。しかし、その裏には理宇を「英雄化」しようとする軍上層部の思惑があるようで……!? 一方、療養中だった虎紅とミヅキもようやく退院が決定。ささやかながら全員揃ってクリスマスパーティを開こうとする理宇たちだったが、その裏には新たなる敵、悲劇的な戦闘の気配が迫っていた……!? 物語が、恋愛が、そして戦場が激動する第7巻!
ジリジリと灼けつくような、一瞬でも油断すれば即座に体中を切り刻まれそうな、凄まじいまでの緊迫感。やっばいわーー、ちょっと尋常じゃなく面白くなってきた。
同じ軍内における派閥争い、というのはどの作品でも決して珍しいものではないのだけれど、本作の場合それが単純なセクショナリズムやメンツ争い、権力の奪い合いという程度の低い足の引っ張り合いで終わっていない。確かに、頭の足りない取り巻きレベルだとその程度の意識で動き回っているようだけれど、それぞれの領袖やその側近レベルは、戦争に勝つために本当に必要だと考える方策を取るにあたって必要な権限を握ろうとし、その方針・方策の邪魔になるものを排除しようとして、適当な……すなわちあらゆる手段を使うことを躊躇わない。そういう、高い意識の衝突であり、極めて高度な政治判断の繊細な綱引きが繰り広げられているのだ。
お陰で軍内に居るものは階級の上下の区別なく、この「政治闘争」から「生き残る」為にアンテナの感度をあげ、判断を研ぎ澄ませ、思慮を巡らせ続けなければならない。少しでも判断を過てば、その個人、或いは部隊は容易に「使い潰されて」しまい兼ねない。実際、この作品には過去に使い潰されたと思しき部隊の生き残りがあちらこちらに散見し、失われてしまったものに思いを馳せながら生きている。
まさに、その軍内政治の渦中も渦中、一番中心に引きずり込まれてしまった理宇たちの7241小隊(紫神小隊)は、どんな小さな判断ミスが、いやミスじゃない正しい判断だったとしても、それが命取りになりかねない綱渡りを強いられ続けている。
ちょうど、ダイダラの攻勢がこれまでと全く違う様相を呈して、人類側への圧力となって現れてきたのと相俟って、作中に流れる緊迫感、危機感がとんでもない所まで至ってしまって、もう読んでいる間じゅう手に汗握りっぱなしなんですよね。
それこそ、いつどこから銃弾が飛んでくるかわからないような息を呑むような緊張感が途切れる暇なく続いていく。世相はもう、クリスマスなんていう甘酸っぱいイベントにさしかかろうかという時期なのに。

しかし、本当に感心させられるのが、これだけ暗闘を繰り広げておきながら、この日本軍、組織としては極めて健全に機能しているところなのだ。
冒頭で発生したナイアガラ陥落。その際に起こったアメリカ軍の魔導士官とその数式戦車が撃破された一件。この戦訓が、わずか数日で日本軍の方にも反映されて、高知での戦闘に即座に活かされてるのである。そんなの当たり前じゃないか、と言われそうですけれど、この対応速度はよっぽど組織が健全かつ柔軟に動いていないと無理ですよ。特に硬直した官僚組織なら、尚更にあちらこちらで分析情報が行き止まり、そこから生まれる判断もあらゆる回り道をさせられ、なかなか現場には降りてこない。降りてきても、現場レベルでの対応を要求され、もっと大きなレベルで対処するには様々な根回しが必要となり、結局万全の形で反映されるには相当の時間が掛かってしまう、というのが定番ですからね。その意味では、兼ねてよりそうでしたけれど、軍の即応態勢が常に高い位置で維持され続けているんですよね。陸海空軍の三軍の連絡も行き届いているようですし、何より同盟国であるアメリカとの連絡も、相応の駆け引きはあるとしてもナイアガラの情報がすぐに分析され日本にも送られているあたり、良い関係のまま回っているようですし。
小隊幹部クラスともなれば、普通に呼吸するのも息苦しいくらいに配慮と思慮と備えが必要とされる、とかく生きにくそうな組織である軍ですが、これ全体として見ると現実としてもフィクションとしても珍しい、ほぼ理想的な形で回っている軍隊なんじゃないでしょうか。
まあ、理想的であればあるほど、システマチックに兵士や部隊が駒として運用され、冷徹に使い捨てられていく仕組みになっているのでしょうけれど。
もっとも、幾ら理想的であろうとそれだけの圧迫を常に与える組織なら、その端々で破綻は常にあぶれ出るもの。たとえば学兵小隊にしたところで、兵士・幹部・教官のどこかに歯車としての不良品が混じっていれば、全体がぶち壊れてしまう。本巻では、度々、地方の小隊でイジメやイビリ、サボタージュなどの問題からトラブルが発生し、中には小隊ぐるみで小隊長が銃殺されたり、教官と撃ち合いになったり、と悲惨な事件が起こっている旨、取りざたされている。
そうした意味では、魔導士官である紫神虎紅と華社ミズキ、小隊長の田神理宇。先任軍曹の鷹乃さんに、分隊長の俊太郎と深冬。そして教官の伊達さんに加藤さん。皆が強い絆で結ばれ、兵士たちを守り、部隊を整えてる。確かに、理想的な部隊なんですよね。いい意味で、完成されている。
部隊の異分子であるユリネ先輩は、果たしてその本意がどこにあるか、実際スパイだし、不穏なことも口にしていて危険人物に見えるんだけれど、それでも盾香に語ったようにこの部隊のこと、気に入ってるはずなんですよね。最後まで、味方でいて欲しい人なんだが。
理宇の身に起こりつつある変化は、敵味方問わずその注意を彼に集め、彼をこのまま地獄の底に引きずり込み兼ねない状態になりつつある。彼にとっての救いは、伊達教官がはっきり明言したように、この部隊の人間は絶対に彼の味方で在り続ける、というところなんでしょうけれど、逆に言うとこの部隊の連中は戦友の為に本当に地獄まで一緒に付いてきかねないところなんですね。実際、この巻でも、理宇たちの危機を救うために、鷹乃さんは上から提示された「お墨付き」と呼ばれる最悪のカードを敢えて手に取っている。
これは、理宇にとっては心強いけれど、同時にきっと恐ろしい事なんですよね。大切な仲間を、死地まで連れていきかねないんだから。尤も、どうやら今更どうやったって手遅れのようだ。もう上も味方も、理宇個人とこの紫神小隊は一括りのものとして捉えている。もはや一蓮托生、運命共同体であることを、果たして彼はどこまで自覚しているか。自覚した時、どれほどの絶望を覚えるか。
ほんと、虎紅とミズキに掛かっているんじゃないだろうか。あらゆる意味で崖っぷちに追い詰められようとしてるこの少年を守るのは。

ダイダラも、ハッチフェイスというコードがついた新たな、対数式戦車用……対魔導士官用の兵器を投入した上に、ペナントを介さない本土への浸透侵攻まで開始して、内陸の都市や一般人にも被害が出る悲惨な状況に。
このハッチフェイスがまた、おぞましいとしか言いようの無い虫唾の走る兵器で……これまでも人間の死体や武器を再利用したグールなる存在を送り出してきてはいたものの、この中身はあまりにもむごたらしい。
これまでは単純にコミュニケーションが取れない無機質な敵として捉えていたけれど、こうも人の尊厳を冒涜するようなことを平気でやってのける相手となると、色々とたまらんなあ。しかも、今度は人類の特性を掴んだ上で敢えてコミュニケーションを図ってくるという搦め手まで。これ、悪魔的に効果的だろう。対話が出来る相手と対話せず戦争を続けようとすれば、絶対に反対勢力が出てくるし、戦争を止めようとする意見や意志は全く正しいものとして扱われる、そういうものだ。それが、ある意味健全な人の社会の在り方だ。
でもその対話を図る意図に悪意しかなかったら? ただ、相手のまとまりを乱す意図しかなかったとしたら? 
何れにしても、難しい判断を強いられる、どころじゃない、風雲急を告げる事態だわ。
理宇少年だけじゃない、人類そのものが今、岐路に立たされている。


人がその相貌に浮かべてみせる笑顔には、周囲の人に安心や心の余裕を与える効果がある。特に、それが周囲を取りまとめる高い立場にいる人の笑みならば尚更だ。
そして、常から笑顔を絶やさないような人の笑みよりも、普段はめったに笑顔を見せない、それこそ無表情だったり鉄面皮だったり、厳しい硬い表情を崩さない人が浮かべてみせる笑顔ならば、より一層衝撃的であり効果的であろう。
それまさに、伝家の宝刀、である。
だが、そういう滅多に笑を見せない人がみなに見せつけるように笑顔を浮かべる時とは、如何なる時だろうか。
それは、伝家の宝刀を抜かざるをえない状況と言えないだろうか。

この巻において、何人もの「笑わない」者たちが、笑顔を、微笑みを見せている。余人が、初めて見る笑顔を、だ。
それが意味する所を、正確に心しておくべきだろう。
まさに、佳境である。

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