一年十組の奮闘2 ~その少女、神聖にして触れるべからず~ (MF文庫J)

【一年十組の奮闘 2.その少女、神聖にして触れるべからず】 十文字青/しらび MF文庫J

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学生のすべてが何らかの“能力"を有する特別な学校、私立天命学園。今日も一年十組の面々は、バカバカしい、だけど最高に楽しい日々を送っていた……のだったが。「にゃおにゃおー。十組のみんなー。あそびにきたよー♪」
いきなりやってきた八組の元気っ娘――“神聖積木崩し少女"、来見坂つみき。最初は楽しく遊ぶ十組メンバーだったが、「誰もさわることができない能力」を持つつみきの傍若無人なふるまいはどんどんエスカレート。しまいには、つみきの側に立つ皆人と、十組メンバーの間に微妙な不和が生まれ……? 本当の友達とは、仲間とはなんなのか? ハイテンション・クラスコメディ、“絆"を問う第2弾!
情けは人の為ならず、という諺もあるように、他人への善意は巡り巡って自分の元へと帰ってくるもの。そうでなくても、誰かに善意を傾けることで、善意を受けた人がまた他の人に助けの手を差し伸べる。そんな風にして善意の輪が循環していく、それが人の世を豊かなものにしていく理想の形なんだと思います。そして、細かな、小さな善意、善行が巡っていくことは、決して難しい事でも出来ないことでもないはず。人間というものは、善い事をしたら誰かに親切にしたら、困っている人を助けたら、心地よくなれる生き物なのですから。ほんの少しイイ事をして、心が軽くなる、ちょっと心が浮き立つ。そんな経験、ありますよね? そんな行為が積み重なり、循環していけば、それはとても幸せな事なのでしょう。

でも。

そんな親切を、誰か困っている人を助ける行為を、悲しんでいる人苦しんでいる人を救う行為を……自分自身に相当の負荷やストレスをかけながら出来る人がどれだけいるでしょう。
自分に負担をかけてまで、人を助けて回ることを一体どれだけ出来るでしょうか。
その人が、親しい人なら、友達なら、自分が嫌な思いをしてでも助けてあげたいと思える関係がある人なら、出来るでしょう。甲斐もあります。そうすることを自分自身を裏切らない行為だ、という人もいるかもしれません。

でも、でも。
さして親しくもない、それどころか一方的に迷惑ばかりかけてきて、嫌な思いばかりさせられるような、困った人を、嫌な人を、それでも自分を押し殺して、嫌な気分に耐えながら、ひどい目に遭いながら、それでも助ける事が出来るでしょうか。
その困った人が振りまく横暴で理不尽な行いには、哀しい理由がありました。その人は好き好んでそんなことをしているのではなく、そういう行動を取ることでしか自分の中の苦しみを発散する事が出来ないだけでした。悪い人ではなく、同情の余地があり、その人もつらい思いをしているのでした。
でも、それを一年十組の子には与り知らぬ事情でした。十組の子たちは、その子の事情など何も知らず、関係なく、そもそもその子が暴れこんでくるまでその子の存在自体知りませんでした。
その子と、十組の子たちには、なんの繋がりも関わりも因縁もなかったのです。十組の子たちにとって、その子はいきなり現れて、無茶苦茶な言動で自分たちを苦しめる理不尽な暴君でしかなかったのです。

それでも、苦しんでいる哀しい子を助けてあげる事は、その泣き叫んでいる傷ついた心を救ってあげる事は、正しい事なのでしょう。善き事なのでしょう。それが、心洗われるような世界の美しい姿、なのでしょう。
たとえ、十組の子たちが、一方的に痛い目を味わい、ひどい目に遭って、ボロボロになって負担を負わされても、最後にその子の心が救われ、横暴さや理不尽な言動がなくなれば、めでたしめでたし……なんでしょうか?
そんなことが出来るのは、殆ど聖人の域に達している皆人だけでしょう。そして、十組の連中が最後までこの一件に関わったのは、その子の為なんかじゃなく、ただ皆人への友情に寄るものでした。
そして、その子の決壊しかかった心を救ったのは、たまたま皆人の能力がその子の能力を中和できたからでした。勿論、皆人の献身さがなければその子の心は開かれなかったでしょうけれど、皆人の能力がその子の能力に適応していなかったら、すべてが破綻していたのも事実です。
運が良かった、という他ないでしょう。
私はね、彼女を何とかしてあげるべきだったのは、何の関係もない皆人や十組の子たちではなく、彼女の傍に自分の意志で佇んでいた少年だと思うのです。彼には彼女との関係があり、そうする理由があり、少なからず責任もあったはずなのに、それらすべてを理不尽な負担もろとも無関係な皆人と十組に丸投げして傍観に徹し、自分からは一切何もしませんでした。
それが、自分にはどうしても納得できなかったのです。憤りすら感じていたかもしれません。せめて、ダメでも彼から積極的に何かしてくれたらば、どうにかしようとしてくれていたら、まだ納得できたのかもしれませんが。

傷ついている子を助けることは善いことで正しいことではあるけれど、その為にどこまで損や痛みを被る事に耐えられるか。善きことを為すのに我慢や理不尽を強いられるのは、悪しき事ではないのか。
なかなか難しい問題であり、考えさせられるお話でもありました。

しかし、つみきの能力って、無差別で自動的である以上、彼女が病気に罹ったり大怪我を負ったり(これは能力でキャンセル出来るのか?)したら医者も触れられないわけで、誰もどうにもできないんですよね。
絶対無敵に見えて、孤独になる云々より前に非常に危うい、リスクの高い能力だよなあ。

十文字青作品感想