クロス×レガリア    死神の花嫁 (角川スニーカー文庫)

【クロス×レガリア 死神の花嫁】 三田誠/ゆーげん 角川スニーカー文庫

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ナタを襲う「もう一人の鬼仙兵器」ウー。その正体に驚いたのも束の間、突如戦いに介入してきた「殺し屋」灰岡ジンは衝撃的な事実を語る。「実はさ。本当は、俺が白翁になるはずだったんだ!」殺し合うように愛し合い、何者をも寄せ付けない強い絆で結ばれた最凶の恋人たち。何故彼らは出会い、そしてナタと馳郎の前に現われたのか?そこには鬼仙兵器を創りだした張本人・太乙真人の思惑が絡んでいた…。宿命の対決が幕を開ける。
ああ、もう完全にジンとウーは、馳郎とナタの反転存在なんだ。その考え方も思想も何もかもがアンチテーゼでありながら、相似的。それ故に強く惹きつけられ、相容れない。親友にして、不倶戴天。だからこそ、ジンの存在は馳郎の生き方そのものを暴き出し曝け出す。その矛盾も、懊悩をも引きずり出す。だからこそ、だからこそ、目をそらさず向き合えば、生き様はより鋭く研ぎ澄まされ、より磨き上げられ、揺らぎも迷いも削り取られ、確固としたものになる。
完成する。
自分は、こう生きるのだという確信を得る。信念を得ることが出来る。覚悟を、整えられる。
その意味では、ジンと馳郎という二人の少年はこれ以上無くお互いを必要としていたのだろう。ただ、独り同士であったなら、果たしてこれほどまでに断固として向き合えただろうか。目をそらしたくなるもう一人に自分に、立ち向かえただろうか。故にこそ、支えてくれる相棒が必要だったのだろう。その生き様に、証を与えてくれる人が必要だったのだろう。彼らの傍らに、彼らの生き様が救った体現者であり、最大の肯定者が存在したのもまた、必然だったのだろう。
しかし、真っ向から向き合ったからこそ、最後の最後に、いやある意味最初から相手にもしていなかったというのは、馳郎という少年の面白さを物語っているように思う。真っ先に自分から渦中に飛び込み、傷だらけになって走り回るくせに、彼が本当の意味で振るっている武器は奸謀なんですよね。というよりも、戦略家というべきか。状況が始まっているときには、既に最終ターンまでシナリオがほぼ決まっているわけですから。まさに、試合が始まった時には既に勝敗は決まっている、というやつである。
それでありながら、シナリオ進行の過程でほぼ間違いなく自分自身が血まみれになることを覚悟しているどころか、ほとんど前提にしてしまっているあたりは、リコがそろそろ心配のあまり若いみそらで胃に穴でもあけてしまうんじゃないかと、そっちの方が心配になる。
まあでも、痛快である。こういうやり方は、特に自分が舞台を整えた脚本家であり演出家であり監督であると思い込んで疑わない大物ぶった黒幕が居るほど、余計に映える。何しろ、自分こそが駒を手のひらの上で踊らせて遊んでいたと思っていたら、自分の方が手のひらの上に乗せられて転がされていたのだから。
馳郎は、いつも目先のことで手一杯な一プレイヤーとしてしか振る舞いを見せないものだからどうしても忘れてしまうのだけれど、彼こそが常にゲームマスターなんですよね。そうなり続ける努力と奸智を絶やさない。
大した主人公です。
しかし、カエアンは登場した時はもっとシステマチックな機械然とした存在なのかと思ってたら、またこう……生きてきたものですなあ。「プリーズ」は、どうしてもアレを思い出すところですけれどw
蓮花もラストで自分の気持を自覚してしまったようですが、これは辛いなあ。いや、どう考えてもナタと馳郎の間に割り込む余地がないだけに。

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