八百万の神に問う1 - 春 (C・NOVELSファンタジア)

【八百万の神に問う 1.春】 多崎礼/天野英 C・NOVELSファンタジア

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「楽土」は神々によって開かれた。そこには飢えも痛みもなく、怒りや悲しみもない。争いの存在しない地には、「音導師」と呼ばれる言葉で問題を解きほぐす者たちがおり----新シリーズ開幕!
今度の多崎さんの作品は和風異世界ファンタジー。あくまで和風、風味であってこれはまた独特な雰囲気だわなあ。確かに中華風でも洋風でもないし、日本語表記以上にこの牧歌的な郷の風景は和風のような気もするんだけれど、でも明らかに違う。まあそれを言ってしまうと、これまでの作品だってその世界観はあまりにも独特な空気が流れていて、洋風だなんだという括りでは捉えきれない起立したものがあったんですよね。それを、ここでも如実に感じ取ることが出来ます。こうやって自分の世界観を確固として構築できるからこそ、一流のファンタジー作家として名を成してるんだろうなあ。
さても、主人公は表紙にも描かれているイーオン音導師。音導師というのは音を操る音楽家、ではなくて弁舌を操って争いを纏める弁護士、或いは交渉人、といったところでしょうか。それも、誰かの利益の為に働く営利職業者ではなく、限りなく公人に等しい役割を担っているように目されます。勿論、頼まれて依頼人の代弁者となって働く人も居るようなので一概には言えないのですが。
しかし、このイーオン、見た目からすると男だと思ったのですが、実は女性のようでして。挿絵の登場人物紹介など見ますと、目つきは悪いというか眼の下に隈がはっていて、もはやガラの悪い「L」みたいにしか見えないのですが、これでも三十路前後の女性だというお話。主人公が三十路女とはまた斬新な、と言いたいところですが、むしろ主人公は若いサヨさんの方でして、翻ってみてみるとこの一巻は、一廉の音導師であるけれども心に傷を負い、後悔とトラウマに囚われているサヨ音導師のくびきが解き放たれる、いや自ら解き放つのをけったいで性格も悪い問題児、に見えてその実賢人なイーオンが導いていくという人生の障害を乗り越えるお話だったんですなあ。
さらに注目して見るべきは、この「楽土」なる暴力が否定された場所でして、一番奥まった里の方は神の判別によって自由に出入りできなくなっております。そこは、深く傷つき現世で生きられなくなったほど弱ってしまった人たちが癒されるために訪れる場所。まるで天国のように語られていますけれど、その実態をよくよく見ているとそこは人生の終端地点。穏やかに平和に人生を終えるための場所。言うなれば、終末医療の施設、みたいなところなのです。もっとも、冒頭から読む限り、楽土のもっとも奥まった人里ナナノ里にそんな時の止まったような静寂はありません。耐えない人の笑いがあり、生き生きとした村人たちの生活がかいま見えます。お陰で、最初は「楽土」の意味がよくわからなかったんですけどね。
どうやら、過去回想などを見る限りではナナノ里がこうなったのはごく最近。この村を見守ってきた方がそれ故に苦悩し続けてきた人生の終着点たる村の姿は、徐々に変わりつつ在るようです。
楽土に訪れる変化、それは既に起こり始めており、人間と神の関係を含めて大きくうねりはじめています。
この一巻のクライマックスで、ひとまず急激すぎる変化は否定されているのですが、面白いことにその否定した人によって、ナナノ里は徐々に変化を迎えている。同時に、楽土の外から外国の手が忍び寄り、近々の波乱は約束されてしまっているようなもの。イーサン音導師の出馬は、まさにその変化に備えてのもの、と言えましょうが、はてさて、「変化すること」そのものの良し悪しはどっちなんでしょうねえ。変わるべきものもあれば、変わらざるを良しとすべきものもあり。一概には言い切れず、見る位置、立場を変えれば様相は代わり、短期的と長期的という観点からも大きく異なっていくのでしょう。
「楽土」という特別な場所の行く末がどうなるか。まだ誰の口からも語られない、イーサン音導師の抱える一度世を捨ててしまった程の傷と闇は何なのか。まずもって人を揃え、世の在り様を捉えるところからはじまったこの第一巻。夏が来て秋が参り冬が訪れる。そこに「答え」を見る前に、まず「問い」から集めていくのが次以降か。
さてもはじまりはじまり、然してたのしみたのしみ。

多崎礼作品感想