ミス・ファーブルの蟲ノ荒園(アルマス・ギヴル) (電撃文庫)

【ミス・ファーブルの蟲ノ荒園(アルマス・ギヴル)】 物草純平/藤ちょこ 電撃文庫

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18世紀に発生し、瞬く間に世界中へと広がった謎の巨大生物“蟲”。巨大な怪生物たちによる甚大な被害と、それと引き替えにもたらされた化石燃料とによって、世界は大きく変貌した―。時は「明治」と呼ばれるはずだった時代の少し前。異国への航路上で蟲を操る男たちに襲われた少年・秋津慧太郎は、ある海岸に流れ着く。その左目に奇妙な力を得て―そして辿りついた荒地で慧太郎は、蟲たちを愛し、その研究と対処とを生業とする美少女アンリ・ファーブルと出会った。もうひとつの近代で花開く、蒸気と蟲と恋が彩るファンタジー、ここに開幕!
ゴキブリ嫌ぁぁああ!! す、すみません、直前にゴキブリと大格闘になったもので。あの連中、なんでこっち向かって飛んでくるんだよぉ!(半泣き
あの瞬間、自分でも信じられないくらい素早くバックステップして逃げながら、ゴキジェットで撃墜してやりましたけど、もうやだ、ほんとに怖かった。超ビビった! 本気で飛び退ったので、思いっきり壁に激突してしまいました。いや、壁がなかったら後ろにひっくり返りそうな勢いだったので逆に壁あってよかったんですけれど。それくらい熾烈な攻防だったのです。
幸いにして、本作にはゴキブリの「蟲」は登場しなかったのですけれど、でっかいゴキブリは勘弁だよなあ。【テラフォーマー】くらい変異してたらもうゴキブリじゃねえだろ、となるんですけれど。
さて、本作はそんな巨大化した「蟲」が出現する世界。何気に最初のシーンは【ナウシカ】のオマージュですよね。魔女たちがメーヴェみたいな飛行機械を駆るのもそうなら、暴走する王蟲ならぬフンコロガシを止めようとするシーンからして。ナウシカも、彼女が王蟲を沈められなかったら、あの最初のシーン、ユパさまが剣を振るうことになったんだろうか。
さてもロマンであります。近代化なりしヨーロッパの地に立つ本物の侍剣士。日本刀というのは、バトル物にはもう欠かせない要素ですけれど、一番ロマンを感じるのはやっぱり戦国か江戸幕末時代の現役バリバリの侍が、異国の地でその極まりまくった剣技で以って大暴れするシチュなんですよね。こればっかりは、現代モノ、ファンタジー異世界ものでは味わえないカタルシスなのです。
本作の主人公・秋津慧太郎は薩摩示現流の使い手。こういう剣戟アクションは多分にハッタリというものが大事なのですが、意外と本作では示現流の剣の術理が随所に魅せる形で活かされていて、ただ日本刀を振り回しているだけじゃない、日本の超一流の剣術家がその剣腕を以って巨大な虫や並の人間では太刀打ちできない蟲の怪人と真っ向から渡り合うという甘露を味わう事が出来ました。慧太郎もある事情から人間離れした身体能力を手に入れているのですが、彼の剣技の冴えがそれどころじゃなくて、あんまり強化されているが故じゃなく、あくまで彼の剣術家としての腕前で戦っているという空気が色濃く、それが尚更興奮を誘うのです。ラスト近辺のバトルなんて、凄まじくビジュアル映えしますよ。いや、ラストだけじゃなくアクション描写は全般的にイメージしやすい上に迫力とスピード感、ド派手さがあいまってて実に良かったなあ。
しかし、単にキャラの駒がよく動くだけじゃこんなに読んでて血が滾るものではありません。動いている張本人であるキャラクターがまた魅力的であるからこそ、こういうアクションは中身が伴うものです。
正直、主人公の慧太郎は青臭いです。中身の伴わない建前の正論を振りかざしてしまう若造です。ただね、中身なんてものは、後からだって詰め込めるものなのです。確かに、最初彼が振りかざそうとしていた正論は、自分の言葉によるものではなく、常識やそういうものだからという倫理観に基づいた借り物の言葉でしかありませんでした。その当事者たちが、どれだけの想いを込めて、どれだけの現実を背負って「間違えている」かを全く考慮せず、表層だけを見て指弾するだけの軽い正義でしかありませんでした。
彼は自分の言葉がどれだけ浅慮で軽いのか、自分の語る正義がどれだけ浮ついた幼稚なものなのか、それを自らの血と痛みによって思い知り、他者が語る現実と真実によって徹底的に打ちのめされ、自分の空虚さという故国に居た頃から持っていた劣等感に縛り上げられてしまいます。
しかししかししかし、彼をこの異邦の地で拾ってくれた少女は、そんな彼の馬鹿者たる芯を無心に肯定してくれたのです。正しさを現実を無視して強いることは確かに間違っているかもしれません。でも、正しくあろうとする事それ自体は、決して間違っていないのだと。間違っていることを間違っていると言い続けることの大切さを。
これ以降、面白いことに慧太郎と敵・ジョセフの主張は、最初は慧太郎が正論によって相手の行為を否定し、ジョセフが自身の間違いを肯定していたのに対して、一度どん底まで落ちてからアンリが背中を叩いてくれたあのシーン以降から、慧太郎が正論によって相手を肯定し続け、それにジョセフが自分にまつわるすべてを否定する、肯定と否定のサイクルが完全に逆転してしまうという形になってるんです。
未来を語るのに、否定ではなく肯定を以って歩むことを、彼はアンリとともに導き出したのです。だからこそ、私は彼と彼女の革命を全面的に支持したい。自分の醜さ、弱さ、矛盾を自覚してなお、ひたむきに正しく在ろうと藻掻こうとする彼と彼女を。作者の手掛けた前作もまた、社会全体をひっくり返すような若者たちの革命こそがテーマの根底にありましたけれど、本作もまた差別問題とそれに伴う存在闘争を根っこに敷いた社会問題を扱うという重いテーマを背負っているのですけれど、この作者さんはほんと、こういうヘヴィーなネタに対して恐ろしく快活闊達に、しかも切れ味よろしく真剣に死合ってくれるので気持ちいいですよ、ほんと。その中心軸に、ボーイ・ミーツ・ガールというものを据えているからなんでしょうけれど。
面白いことに、本作は落ちてきたヒロインを拾うのはアンリの方であって、拾われるのは慧太郎の方だったりするのですけれど、これって主人公とヒロインの最初の立ち位置が完全に逆、ということでアンリの配置が結構主人公よりだったりするんですよね。学園内の孤立した立ち位置から魔女としての役割、慧太郎の保護者的な立場になること、彼女の抱えている社交的な偏屈さなどなど、彼女が主人公側でもおかしくない設定群なのです。さらに、最初に決定する二人の関係性から、殆どこれこの二人に対して他のヒロインが入る余地がなくなってるんですよね。完全にマンツーマン。慧太郎は、かなりの人誑しで男女問わず色んな意味で人を引きつけてしまう人ですけれど、アンリが危惧するほどではないと思いますよ。どう見ても、慧太郎の眼中にはアンリしか映っていませんし。個人的にこいつのアンリに対する姿勢は武士道じゃなくて、思いっきり騎士道のそれだと思わないでもないですけれど。
何にせよ、ヒロインを感極まってボロ泣きさせてしまう主人公が、かっこ良くないわけありません。そうやって泣かせた彼女に、また泣かせたね、と謝る主人公に、ああ痺れましたとも、痺れさせられましたもの。
敵のジョセフがまた、魅力的すぎるくらいのキャラだっただけに、ラストの激突シーンは本当に熱くなりました。あーもう、盛り上がった盛り上がった。前作に負けず劣らずの、素敵なカップルでしたよ、この二人と来たら。ヒーホウ!!
なんか、前作はあのまま音沙汰なくなってしまいそうな雰囲気が漂ってて、あれが滅茶苦茶好きだった身としては発狂しそうなんですが、その分此方はほんと頑張ってください。面白かったですから、最高に盛り上がりましたからっ!

物草純平作品感想