灰と幻想のグリムガル level.1 ささやき、詠唱、祈り、目覚めよ (オーバーラップ文庫)

【灰と幻想のグリムガル level.1 ささやき、詠唱、祈り、目覚めよ】 十文字青/白井鋭利 オーバーラップ文庫

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そこには幻想は無く、伝説も無い。
十文字青が描く「等身大」の冒険譚がいま始まる!


おれたち、なんでこんなことやってるんだ……?
ハルヒロは気がつくと暗闇の中にいた。何故こんなところにいるのか、ここがどこなのか、わからないまま。
周囲には同じように名前くらいしか覚えていない男女、そして地下から出た先に待ち受けていた「まるでゲームのような」世界。
生きるため、ハルヒロは同じ境遇の仲間たちとパーティを組み、スキルを習い、義勇兵見習いとしてこの世界「グリムガル」への一歩を踏み出していく。
その先に、何が待つのかも知らないまま……。
これは、灰の中から生まれる冒険譚。
何の優れた能力もなく、秀でた才能もなく、大した見識もなく、頭だって回らない。そんな味噌っかすとして、同じ記憶喪失の迷い子としてこの世界に落とされた境遇の連中たちにすらハブられて、残された連中だけで寄り集まった残り物のパーティ。ハルヒロたちのパーティーは、義勇兵の中でも最底辺の場所にいる、ただ日々を生きることに汲々とするだけの集まりだ。
残り物には福がある、というけれど、このパーティーメンバーにはそんなものは何もない、夢も希望もなくただ生きていくために義勇兵にならないとイケないから戦っているだけの、本当にグダグダで力のない者たちの集まりなのだ。こういう最底辺を這いずりまわる若者たちの懸命さを描かせるとこの人はほんとに力の篭ったいい話を書くんですよね。まず自分たちが何も出来ないことすら理解できないまま右往左往する無様なところから、自分たちの無力さ、無能さを痛感して、そもそも自分たちが何も考えずただ流されるまま力を尽くさなかったことによって失ってはいけない大切なものを喪うという挫折を経験しのた打ち回る過程を経て、そんな自分たちを受け入れた上で、這いずっている自分たちの情けなさを受け入れた上で、ジタバタと自分たちのできることを必死で足掻いて足掻いて成して行こうとする、成り上がりじゃない一つ一つ踏みしめるようにして階段を登っていく成長の物語が、まさにこれだ。
ハルヒロたちの境遇は悲惨そのもので、同じ時期に義勇兵見習いとなったはずの、もう一つのパーティーが輝かしい戦歴をあげているのに比べると、見習いすら脱却できず喘いでいる姿は見ていて憐れみしか湧いてこないような惨めさである。
その上、彼らは自分たちの怠惰の報いとして、彼らのパーティーの要だった大切な人を喪ってしまうのである。残されたのは本当に味噌っかすの、誰かに手を引いて貰わなければ何も出来ない意志も勇気もない欠点だらけの男女だけ。そこからの彼らは、文字通りの迷走をはじめ、なんとか今まで通りを維持しようとしながら仲間たちとの関係もボロボロに崩れていってしまい、何もかもが行き詰まってしまうのである。でも、そこでギリギリ彼らは踏みとどまるのです。何もかも折れてしまいそうな瀬戸際で、これじゃあいけないと踏みとどまるのである。そこから、ハルヒロを中心に彼らがはじめたのは、お互いをもう一度最初から理解し合うこと。ちゃんとコミュニケーションを取り、自分たちを見つめなおすこと。自分たちが思っていることをさらけ出し、本心をぶつけあい、その上で自分たちに足りていないものが何なのか、自分たちが何をすべきなのかを、ちゃんと話し合うこと。
そうすることで、もう一度彼らは元の連携のとれたパーティーの姿を、いや元々彼らにはなかった本当のパーティーとしての在り方を一つ一つ自分たちの手によって作り上げていくのである。それは、最底辺のモンスターであるゴブリンたちとようやく渡り合えるくらいの、英雄だとか歴戦などとは程遠い姿だけれど、ちゃんと戦うための集団としての姿だったのでした。
絶望すら抱けないような燻り腐った、俯いて下ばかり見ているような境遇から上を向き、お互いを見やって一歩一歩歩き出すことを描ける十文字さんの物語というのは、いつだって物語の各所から希望というものを感じさせてくれる。不安、不信、後悔、自己嫌悪、そんな後ろ向きな感情を主人公たちがむき出しにして、溢れ出させて、ボロボロとこぼしながら語られていくお話なのに、不思議といつだって前向きにさせてくれる。だから、好きなんだよなあ、十文字青という人の描くストーリーは。

しかし、この自分の名前以外の殆どの記憶が失われた状態で、グリムガルという世界に送り込まれてしまう、という設定は何気に凶悪でありつつ、彼らが義勇兵見習いとして生きていくことに疑問を覚えない、という点で非常に巧妙に出来ている設定だと思う。ゲームのような世界でありながら、その「ゲーム」という存在すら記憶していないために、この世界に放り込まれた連中には「ゲームをプレイしているつもりの遊び感覚」は生まれないんですよね。皆、ただただ必死に生きる為に戦うことになる。
ただ、これをもしゲームという代物に対する知識が残っていたら、モンスターとの戦闘についてもスキルの習得などについても、もう少し戦術性や計画性が生まれていたのかもしれません。例えば、モンスターとの戦闘でハルヒロたちのパーティーが崩壊したシーンなど、魔力やダメージの総量管理という概念があったら容易に防げていいたものですし、そういうのって普通にRPGなんかのゲームをプレイした経験があったら身についているものですしね。敵が与えてくるダメージがこちらの回復量を飽和してしまい、手が回らなくなって押し切られてしまうあのシーンなんか、大概RPGなんかで覚えがあるんじゃないでしょうか。
でも、それをこうして等身大のキャラクターが戦ってる姿でやられると、その打開しようのない切羽詰まった感は尋常じゃないですよね。相手が絶望的に強大な敵、という訳じゃなかったのが余計に二進も三進もいかなくなる感覚を増強して、詰んだ戦闘って、ここまでどうしようもないのか、と唸らされる。
そう考えると戦闘管制って大事なんだ、というのがよく分かるのですが、そう言えば作者は【薔薇のマリア】の頃から戦闘を管制するという概念については昔からかなり重要視してたなあ。

物語はまだ始まったばかり、どころか地べたを這いずりまわった挙句にようやくスタート地点に立つ事が出来たというハルヒロたちのパーティーだけれど、泥を啜って惨めさを味わい尽くした事は決して無駄ではないと思う。ただ何となく寄り集まってそのまま障害もなく上手く行ってしまうより、余程強固で繋がりあったパーティーが出来たんじゃないだろうか。喪ったものが大きすぎた為に、彼ら自身はそれをずっと後悔し続けるのだろうけれど、少なくともその後悔に足を取られることはないと、ラストシーンの別れを告げる彼らの凛とした姿を見れば、信じる事ができる。彼らの今はじまった冒険を、ぜひこのまま追いかけたい。


ところで、スピンオフというか別パーティーのお話が【大英雄が無職で何が悪い】というタイトルで、「小説家になろう」にあがってるんですが!! もちろん、十文字青さんご当人の手で。ええーっ!?w

十文字青作品感想