丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫 お 37-58 十二国記)

【丕緒の鳥 十二国記】 小野不由美/山田章博 新潮文庫

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「絶望」から「希望」を信じた男がいた。慶国に新王が登極した。即位の礼で行われる「たいしや大射」とは、鳥に見立てた陶製の的を射る儀式。陶工である丕緒(ひしょ)は、国の理想を表す任の重さに苦慮する。希望を託した「鳥」は、果たして大空に羽ばたくのだろうか──表題作「丕緒の鳥」ほか、己の役割を全うすべく、走り煩悶する、名も無き男たちの清廉なる生き様を描く短編4編を収録。
こうした下級役人や庶民の視点から描かれた話を見ると、先代慶東国王の予王が国内のすべての女性を追いだそうとした命令は凄まじい惨劇をもたらしていたのがよく分かる。過去の出来事として聞く分には、無茶苦茶な命令を、というくらいの印象だった覚えがあるんだけれど、当事者たちからすれば悪夢に近かったんだろうなあ。
さて、四篇に渡って描かれる物語ですけれど、一番印象に強く残ったのが死刑制度にまつわる『落照の獄』でした。現代の日本の死刑制度の賛否に纏わる問題に照らし合わせる形で切り込んだ作品で、司法官である主人公が同情の余地のない凶悪な連続殺人犯の死刑について、認めるか認めないかについて煩悶する話なのですが、これが死刑制度に対する思考実験みたいな形になっていて、あらゆる観点から死刑を執行するか否かについて吟味が行われるのですが、これが白眉。死刑というものに対して、賛成と反対、感情と理性、客観と主観、司法と民意、様々な観点、あらゆる視点から語られる議論は賛否どちらの立場にも寄らず、この問題を詳らかにしていて、この話を読むだけでこれらの問題についてわかった気になれるという。さらにいうと、理解出来れば出来るほど、何が正しくて何が間違っているのか、というのがわからなくなって来るんですよね。正しい結論など無い、なんて気取った答えではなく、何をどうした所で間違った結論しか出ないという袋小路の行き詰まりを目の当たりにして愕然とする他ない。
もちろん、これを現代の日本の死刑制度に結びつけるには条件が色々違いますし、そもそも日本は長らく死刑が行われていなかった国ではないので、司法官たちが抱く死刑への忌避感、歯止めを喪ってしまうのではないかという危機感は安易には当てはまらないのですが、かなり考えさせられたのも確かな話。
ただ、彼らの思考を投げ捨てず最後まで感情に任せず、しかし感情を蔑ろにせず、考え続けた姿勢は尊敬に値する。果たして、ここまで真摯に問題に向き合えるものなのか。もし、この真剣にして悲壮ですらある彼らの苦悩に満ちた議論を、そのままの形で民衆に伝えることが出来たなら、彼らが選んだ選択がどんなものであれ支持されたのではないか、と思わないでもないけれど、こういう苦悩は決して当事者以外には理解されないんですよね。
これは、他の三編でも少なからずそんな他者にやるべき事をやり抜いていることが理解されないという傾向がある話で、その意味では第一話の丕緒は、最後の最後で景王・陽子という理解してくれる相手が現れた事は救いであったのでしょうし、【青条の蘭】のように理解されなくても必死さが伝わる場合もある。【風信】のように、実感を伴って伝える事が出来た時もある。
それだけに、【落照の獄】の司法官たちの苦悩の果ての結論は、それが民意に叶うものであったとしても、それが民意におもねらず思考を積み重ねた末のものだったとしても、苦渋と敗北感に打ちのめされた彼らの姿を見ることは辛かった。たとえ、それが間違った結論だったとしても、亡国を招くきっかけになるのだとしても、その考えぬいた末での選択に胸を張って欲しい、というのは酷すぎるだろうか。