know (ハヤカワ文庫JA)

【know】 野崎まど ハヤカワ文庫JA

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超情報化対策として、人造の脳葉“電子葉”の移植が義務化された2081年の日本・京都。情報庁で働く官僚の御野・連レルは、情報素子のコードのなかに恩師であり現在は行方不明の研究者、道終・常イチが残した暗号を発見する。その“啓示”に誘われた先で待っていたのは、ひとりの少女だった。道終の真意もわからぬまま、御野は「すべてを知る」ため彼女と行動をともにする。それは、世界が変わる4日間の始まりだった―
世界が変わる4日間……凄い、「すべてを知る」というのはそういう事だったのか。道終・知ルが「すべてを知る」ことによって起こった世界の変容。その意味がわかった時の、体の芯から湧き上がってきた寒気のような、興奮のような、ともかくゾワゾワっと噴き出してくる震えに、しばし呆然。正直言って、ここに現出した世界というのは、もう今まで想像したことのない世界だった。いや、出来なかった、というべきなのか。そんな概念を、発想として抱く余地がなかった。だけれど、知ってしまった。知らないことを、知らない価値観を、知らない概念を、知ってしまった。
凄い、そして怖い。歓喜であり、恐怖である。価値観そのものが揺さぶられる。人間が想像し得る事は実現可能である、なんて風な言葉があるけれど、ならばこんな世界もあり得るのか?
エピローグで、不治の病を患った子供の母親がまくし立てている内容の意味を理解した時の、あの衝撃はしばらく忘れられないだろう。死後の世界、という概念があり、またイザナギ・イザナミの神話を知っていれば、生死をまたぐことは、イメージするにさほど難事ではない。だけれど、ここに現出した世界は、そういう黄泉がえりとかとは全然違うんですよね。そうか、死とはこんな形でも克服できるんだ。

道終・知ルは「すべてを知る」ことを欲するに躊躇いがない。彼女は運命でも宿命でも使命感でもなく、その原動力はひたすらに好奇心であり知識欲だ。よく、全知を得ること、過去から未来まですべてを知ってしまう事で絶望を抱く展開がある。だけれど、「知る」ということは、もっとこう、食べたり飲んだり、性欲を抱いたりすることと同じものなんですよね。根源的欲求であり、たとえこれから起こることを何から何まで知ってしまったとして……そこで欲は尽きるのか? 欲は枯れ果ててしまうのか? 知ってしまった事を退屈だと思うのか? 知った時点で、それ以上知ることに関心をなくしてしまう程度のことなのか? 常々、心の何処かで疑問に思っていたことである。人は、いくらでもひたすらに知り続けたいと願い続ける生命である。その一番純真な部分を、この道終・知ルは体現しているのではないだろうか。そのピュアさが、何故か可愛らしくてたまらない。知る事に終わりはない、知ることに果てはない。それはきっと、宇宙よりも広いもので、どこまでも歩いていけるものである。その終わりのない広さに絶望を抱くか、それとも心をときめかせ目を輝かせるか、その違いこそが境界なのだろう。ここに出てくる人物は、特異である知ルを含め、連レルも常イチも、知ることにひたすら貪欲であり、子供のように目を輝かせて、知る事に邁進している。その結果、生まれた世界の見たことのないあり様に感動し、興奮したのは、それが人間の無垢で無邪気な焦がれによって生まれた世界だったからなのだろう。
そう、きっとこれが人類の、ネバーランドだ。

野崎まど作品感想