王手桂香取り!  (電撃文庫)

【王手桂香取り!】 青葉優一/ヤス 電撃文庫

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上条歩。中学一年。三度の飯より将棋好き。ひそかに憧れる人は将棋クラブの主将、大橋桂香先輩。そんな歩のもとに突如美少女たちが現れる。「私たちは、将棋の駒だ」そう言い放つ彼女たちは駒の化身だという。人知を超えた将棋の強さをそなえる彼女たちの指導のもと、歩は棋力をめきめき上げていく。折しも団体戦の大会が間近に控えており、歩は桂香先輩とともにライバルを打倒し、頂点を目指すべく奮闘する。第20回電撃小説大賞・銀賞受賞、駒娘たちと送る熱い勝負とさわやかドラマの将棋青春ストーリー!
棋譜を全部暗記している時点で、もう常人と隔絶してるんだよなあ。将棋を本気でやろうとしたら「最低で」その程度は出来ないと話にならない、というのだから恐ろしい世界である。しかも、ここでの描かれ方からすると、彼らが切磋琢磨して勝ち名乗りをあげた全国大会、そこで優勝するレベルですら、かの奨励会では最低ライン、というくらいで。どれだけ魔窟だ、奨励会。まあ他作品でも、将棋を扱う作品だと、奨励会というのはホントに人外魔境の扱いで、そこをくぐり抜けてプロに到達したプロ棋士たち、さらにその頂点に立とうという名人ってのは、もはや人類を逸脱した神、神、神である!! と言われるのもまあ無理は無いなあ、と思えるほど確かに名人級というのは素人が傍から見てても化け物なんですよね。
どんだけのインフレバトルが現実で行われてるんだろう。想像するとちょっと呆然としてしまう。関係ない場所から見ていても、その天辺が見えない塔の高さにあんぐりと口を開けて呆けながら見上げるしかないのだから、実際その塔を登っている人たちからすると、その高みはより実感を伴って首を締めに来ているに違いない。桂香先輩にしても、あの二階堂くんにしても、将棋に向かう姿勢には苦悩と飢餓感が纏わりついている。
だからか、現れた駒の化身たちが、自分たちの棋力は名人たちすら全然届かない前人未到の高みにあるのだ、と胸を反らしてのたまわれても、なんとなくこう……納得いかんのですよね。
現在の将棋会の頂点近くに立っている人たちは、いわば最新にして最高の神。対して、駒娘たちは古き神々。過去の遺物が、最新にして最高の遥か先を言っている、というのは微妙に不満なんでしょう。魔術や魔法じゃないんだから、昔の方が強かった、というわけじゃないですからね。
もちろん、何百年にも渡る歴史と、駒を通して無数の対局を体験してきたからこそ、その積み重ねで高みへと至っていると言い切れるのでしょうけれど、将棋を現在の高みへと押し上げたのは歴々の棋士たちの研鑽と苦悩であり、死屍累々と積み上げられた探求のその最果てが、今現在なわけです。何も残していない、何の財産も置いてきていない駒娘たちが、勝手に先に行っているのは、ズルい、と思ってしまうのですな。
もっとも、だからこそ彼女たちは自分たちが蓄えた財産を、上条歩という少年に相続させようとしているのかもしれませんけれど。たとえ本当の将棋の神様でも、人類未踏の領域に立つ棋力の持ち主でも、その神に至る棋譜が将棋の歴史に示されなければ、そんなもの存在しないのと何も変わらないのですから。
まあでも、歩少年が歩んでいるのは人類が歩いたことのない神の譜面などではなく、極々地道な成長路なんですけどね。どれだけびっくりするようなスピードで成長していると言っても、そこは先人が歩いた道であることは他の若手棋士たちとまだ何も変わらないのです。誰も見たことのない領域へと手を伸ばすには、本当の突端にまで辿り着かないと話にもならないか。その意味では、本作は純粋な成長モノであって、神の一手を模索し人外魔境に踏み入り、冥府魔道に落ちていくような、『ハチワンダイバー』とか『ヒカルの碁』のようなタイプの話ではないのだろう。
健全である。
それだけ派手さもない、地味、という意味でもあるんだけれど。まあぶっちゃけ、肝心の駒娘たちが分かりやすいだけのキャラ付けをされただけの、お陰でむしろ個性らしい個性も感じられないお人形さんでしかなかったので、人間ドラマ的観点からはあんまりおもしろい部分も見受けられなかったですね。
この際、駒娘たちはもう空気と割り切って、歩と将棋バカの桂香先輩とのやりとりに集中していた方がまだ楽しいんじゃないだろうか。まあでも、歩もヘタレ系内気男子なので、見ていてもモヤモヤするばかりかもしれませんけれど。
あとは、どれだけ将棋のシーンでエンタメ的盛り上げをやってけるか、かなあ。見ているだけでワクワクゾクゾクさせられるような対局は、やっぱりなかったですし。