遙か凍土のカナン1 公女将軍のお付き (星海社FICTIONS)

【遙か凍土のカナン 1.公女将軍のお付き】 芝村裕吏/しずまよしのり 星海社FICTIONS

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公女オレーナに協力し、極東にコサック国家を建設せよ。
日露戦争屈指の激戦・黒溝台の会戦で負傷した新田良造。帰国後、彼にもたらされたのは、不可解な叙勲と、可憐なコサックの公女だった……。
広大なユーラシア大陸を舞台に、大日本帝国の勇敢なる騎兵大尉にして、“一人目のアラタ”新田良造の戦いが始まる──。
『マージナル・オペレーション』のタッグが放つ凍土の英雄譚、ここに開幕!
ああ、時代だなあ。
いきなり日本語が変になってしまいましたが、現代と違うその時代特有の空気感を嗅いでしまうと、ついそんな感慨が湧いてしまうものです。前半の血で血を洗う大陸を舞台とした日露戦役に、戦後の浮ついたどこか忙しなさに包まれた明治最後期の日本。そんな時代背景をふわふわと地に足を付けないまま彷徨っている一人目のアラタ、新田良造という青年将校。時代に馴染めていない、というのではないでしょう。戦場での経験が彼を時代に合わせる事の出来ない精神構造にしてしまった、というのもちとそぐわない。何しろ、大陸で銃火を潜っているその時から、どうも彼には現と剥離した気楽なものがあったように見える。まあ、気楽と言うには随分と気分も重々しく鬱々と楽しまない性格の持ち主のようだけれど。
結局のところ、彼はそもそも流離う人のように見える。馬の背に乗り、明確な目的地なくどこまでも駆けて行ってしまうような、一所にとどまれず、執着出来ず、拘れず。
なるほど、狭い島国の窮屈な組織に留まるよりも、何のしがらみもない大陸で自由に浪人でもしていた方が似合いそうな御仁だ。一方で、だからこそか、自らしがらみに囚われたがる気質にも見える。執着しない性格だからこそ、意固地なまでに信念に拘ろうとしているようにも見える。
つまるところ、勝手な人物だ。手前勝手に押し付けて、相手の気持ちを考えているようで勝手に自己完結してしまっている人柄である。なまじ温厚篤実で誠実で、優しく頭脳も明晰、曲がっていない人だからこそ、悪者になれない人だからこそ余計に質が悪い。
内縁関係にあった女性が、彼に対してどういう気持ちを抱いていたのか、想像に難くない。彼女の不貞が発覚した後、彼が見せた態度、彼が残した手紙を前に、どのような想いを抱いたかだろうことも。凄まじく残酷な男である。
オレーナに対する態度もまあ……優しさというナイフでザクザクと切り刻むような残虐さにおののくばかりだ。オレーナが泣く度に胸が痛む。結局のところ、彼は自分の信念にプライドを満足させているところがあって、勿論オレーナという異国から救いを求めてきた少女の事を最優先で考えているのだけれど、それは彼の信念に基づくイメージの産物であって、少女の気持ちについてはほんとうの意味で考慮はしてない。彼の意思、覚悟、罪悪感や後ろ暗さはあくまで彼自身のものであって、彼女の気持ちには何の関係もない事については頭にもない。その意味では彼もまた、男性本位の時代の男であるのだ。
もっとも、その価値観は「アラタ」のものであって、時代に沿う価値観とはまた別のモノ、という気もするのだけれど。

一方で、確かに良造の価値観はまさに幕末の動乱期から明治・大正へと移り変わっていく時代の男のもので、現代のものとはかけ離れた部分が随所に垣間見える。でも、これは自然なんですよね。昔の時代を今の価値観で捉えて、それで人を動かそうとしても気色の悪いことになるばかり。だからこそ、この作品からは正しくその時代の「匂い」が漂ってくる。
芳しい、スルリと馴染む空気の香りだ。まだ大陸で、何者でもないものが自由に地平線の向こうまで闊歩できる時代である。それは、動乱の隙間にわずかに存在しただけの時代かも知れないが、確かに実在した遮るもののない時代である。そこに、まだ幼くも毅然とした姫君の伴をして飛び込んでいく、冥利に尽きる男の旅路。そこにどんな陰謀や思惑がまとわりついていようとも、その根底にあるのは実にシンプルな理論だ。一人の少女を幸せにするために、生命を尽くす。まさに、男子の本懐である。その為ならば、当の少女をどれだけ泣かせてしまおうと、まあ瑣事である、と言ってしまっては酷な話か。こればっかりは、泣いてる当人が自分で頑張ってぶっ飛ばすべき問題なので、あとは姫様次第であるか。

芝村裕吏作品感想