神さまのいない日曜日IX (ファンタジア文庫)

【神さまのいない日曜日 9】 入江君人/茨乃 富士見ファンタジア文庫

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「私、死んじゃったんですね…」
アイは、土曜の朝に死んだ。ユリーも、傷持ちも、ディーも、ウッラも、それぞれがアイの死を受け止めた。そして、皆が思った。
「アイ、キミは、これからどうするの?」
死者として埋葬されるのか、このまま在り続けるのか…。アイは待っていた。脅威なき世界の魔弾となったアリスと、悪なき世界に舞い降りた魔女の娘を―。世界の終わりに出逢った少年と少女。ふたりは奇跡を起こせるのか―?
墓守アイの願いの物語、ついに完結。

次々と「死んだ」アイに会いにきて、それぞれ違った反応を見せていく、アイの家族や友人たち。それは、まるでアイに最後の別れをしにきた葬列のように思えて、頭がクラクラと揺らいだ。
まるで、「アイの葬式」だ。
アイは、ちゃんとそこに居るのに。生前葬? でも、アイはもう死んでいる。死んでいるのに、意識を持って其処にいる。でも、ユリーも、スカーも、ディーも、アイの死を嘆き悲しみ、狂乱しているのだ。
なんて狂った状態なのだろう。なるほど、ようやく実感できた。これこそが、この死者が生き返る世界のありのままの姿なのだ。死んだアイに逢いにきた人たちの反応がそれぞれ違うのも当然だ。みんなそれぞれ、この死者が残り続ける世界において、見ている「死」が違うのだから。
アイが救おうとして失敗した、壊れた世界とは、つまりはこういう世界だったのだ。こんな共通した価値観を喪った「死」が蔓延する世界なのだ。先に生者から見た死が描かれたのと対象的に、この巻はまさに「死者」の側からこの世界を見ることになったである。
神様のいなくなった、生者が生まれず死者が死なない壊れた世界。その破綻の最たるものである「壊れた死」が、「アイの死」を通じて、ついに実感として突きつけられる事になったのです。

アイの死を嘆き、哀しみ、絶望し、一方で受け入れ、祝福するものもいる。これまでも十分、死者の死なない世界というのを目の当たりにしてきたつもりですけれど、主人公のアイが「死」の当事者になる、というのはこれまで見聞きしてきた「死者」が、結局は外側から見てきたものだと思い知らされる事でもありました。
アイの死を目の当たりにして狂ったユリー。墓守として初めて「悲しみ」を知り暮れたスカー。アイの死を前に、死というものを理解して恐怖に崩れ落ちたディー。
アイの死に、彼らが受けた衝撃はあまりにも大きくて、激しくて、彼らがこらえきれずに溢れ出させ、噴き出させた感情の渦はあまりにも圧倒的で、ああ、親しい大切な人が「死んでしまう」とはこういう事だったんだな、と思い出さされて、なんだか無性に……わけもなく落ち着かなくなったのでした。滾々と沸き上がってくる情動はコントロールできず、その揺さぶるような波に、しばしじっと耐えるしかありませんでした。
「もう二度と、絶対に会えない」。
それが人が死ぬということ。死なれるということ。それが当たり前の真実だというのを、改めてつきつけられたのでした。
しかし、死んでしまったアイは、なおもどこにも行かずにここにいる。それが不思議で、不可解で、でもホッと安心させられて、でも彼女が埋まる事を選択すれば、死は正しく死として彼女を眠りへと誘ってしまうという状態で……とにかくもう足元がグラグラとして覚束ないのです。これは、何なんだろう。この定まらない、具体的でないあやふやで混沌としたものは何なんだろう。この訳のわからなさが、感情に方向性を与えてくれないのだ。感情に名前をつけることを許してくれないのだ。だから、どう名づけていいのかわからない感情が、混沌としたまま渦巻いている。
だから、混乱したまま受け止め、飲み込むしかなかったのだ。

一方で、物語の登場人物たちは、当事者であるアイを含めて、「アイの死」というものに整理をつけていく。それは、半ばあまりにも大きすぎるその衝撃によって生じた狂いを、或いは浮き彫りになったその人の真実を、すべてアイが受け止め、許容し、肯定して、受け入れたことによって収まったと言えるのだろうけれど。
アイが死んではじめて家族になった、ユリーとスカー。アイが死んだことで初めて生と死を理解し、そうしてアイと本当の友達になったディー。生前も死後も変わりなく、かけがえのない友達でいてくれたまま再会し、別れることになったターニャ。アイが死ぬことによって、初めて顔をあわせ言葉を交わし、触れ合うことが出来て、思う存分旧交を温めることが出来たウッラ。
そして、なおも世界を救う夢を諦めなかった、失敗を認めず、突き進むことを選んだ魔女の娘をも、アイは否定せずに肯定して受け入れる。
たったひとりの、アイの死という事実だけでも、これほどまでに多種多様な捉え方があり、慟哭があり、歓喜があった。それをすべて、受け止めて、認めてみせたアイに、過日の姿はない。かつて、世界を救うのだと夢見た頃のアイは、多くを否定し、多様性を一つの枠に収めようとして、狭量に振る舞うことしばしばだった。それが、幾度もしくじり、失敗し、自分の不明を思い知り、挙句の果てに、世界を救うのだという夢さえ敗れ、半ば怪物とかしていた存在から、ただの人の子に落ちた末に、生きることを終えて死者という存在になった末に、アイがたどり着いた場所が此処だった。数多を認め、数多を受け入れ、数多を肯定し、すべてを祝福する。
それでいて、自分の信念はブレずに貫いてみせる。他者を肯定し祝福し、しかし自分の道に立ちふさがるなら堂々と立ち向かうのだと、笑って宣言できるのが、今のアイでした。
これが、彼女の長い旅の出会いと別れの果ての結果だったのだ、そう思うと、ただただ胸が一杯で、たとえ感情の名前がわからなくても、たとえどんな種類か把握できていなくても、感動というのは訪れるのだと、知ることが出来たのでした。

そんなアイが唯一、認めず、肯定せず、祝福せず、問答無用で蹴っ飛ばしてみせたものこそが、アリスの生き様だったというのは、結局アイが夢を諦めることを選んだ時から、自明だったのかもしれません。
だからこれは、きっと心の底から「良かったね」と微笑むことが出来るエンディングだったのだと、思うのです。
明日へ……。

本作は、富士見ファンタジア文庫というレーベルの色から逸脱した、というところに留まらず、もう数あるライトノベルという括りからも半ば足を踏み出した、非常に特異な作品だったように思います。よく、こんな独特すぎるお話を、打ち切りもせずに路線も歪めず、存分に書かせてくれたものだと、感嘆するばかりです。これぞ、英断というものでしょう。結果として、これほどまでに唯一無二の物語が、ついに幕を引くまで走りきったのですから。
この物語を、最後まで読み終えさせてくれたすべての尽力に、感謝を。
……ありがとうございました。

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