B.A.D. 13 そして、繭墨は明日もチョコレートを食べる (ファミ通文庫)

【B.A.D. 13.そして、繭墨は明日もチョコレートを食べる】 綾里けいし/kona ファミ通文庫

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彼女は、僕の運命だった――

「諦められませんよ、繭さんを」
繭墨あざかは異界に沈んだだけだ。だが、早く迎えに行かなければ、彼女は本当に死んでしまうだろう。
再び異界にゆく手段を探す僕の前に、繭墨分家の長・定下が現れた。あざかを紅い女に捧げたままにしたい彼に“あさとと共に繭墨家の新たな呪いを解く"ことを協力の代償として求められた。
そして再び訪れた繭墨本家で僕は決定的な間違いを犯してしまい――。
残酷で切なく、醜悪に美しいミステリアス・ファンタジー完結。

……小田桐くんという青年は筋金入りの偽善者で、どうしようもない愚か者だった。彼の偽善のせいで、死ななくてもいい人が何人も死に、彼が愚かだったせいで幾度も惨劇が繰り返された。やることなす事裏目に出て、彼が救いの手を差し伸べることで悲劇の引き金が引かれてしまうこともしばしばだった。
もう何もするな、と思ったこともある。願ったこともある。自分のせいで起こる悪夢に、彼は身も心も傷ついてボロボロになるばかりでしたから。それ以上に、彼に善意を強いられることで、多くの人が踏みにじられていったのを見ていられなかった。
それでも、彼は周囲がどれほど止めても、呆れても、憎まれても、呪われても、偽善者であることをやめなかったし、愚者であることを省みなかった。そうして、本来ならば絶対に救われなかったであろう人たちを、彼の偽善と愚かは血みどろになりながら、或いは相手を血塗れにしながら救い上げていったのです。ふと、最後に彼のために集った人たちの顔を見渡して、そのあり得ない顔ぶれに愕然とするばかりでした。果たして、小田桐くんが居なければ、生きてこの場を迎えられたヒトがどれだけ居たでしょう。雄介が侵された狂気は絶望的でした。彼が生きて正気に戻ることなどありえないはずでした。舞姫と久々津が、生きてその想いを遂げることがあったでしょうか。何よりも狐が、繭墨あさとが、あの悪意の権化が、繭墨という家の歪みが結晶化したような青年が、心改める日が来たでしょうか。未だに、この顔ぶれが揃っていることが信じがたいです。本当に信じがたい。その信じがたい結末を手繰り寄せたものこそが、小田桐くんでした。
小田桐くんにとっての運命が繭墨あざかならば、確かに雄介の言うとおり、彼らや白雪にとっての運命は小田桐くんだったのでしょう。この愚かで無力で間が悪く何も出来ずに怯えて藻掻くばかりのこの青年が、成したことは終わってみればあまりにも偉大でした。
数多あったであろうバッドエンドを、こうしてひっくり返してみせたのは間違いなく彼の功績です。この作品は、この物語は明確に悪意に溺死するような醜悪な結末を指向していたにも関わらず、その指向性を、空気感を、世界のあるべき姿を、すべて塗り替えてみせたのが、この冴えなくみっともなく無様な青年の無駄な足掻きだったという事実に、今更ながら呆然とするばかりです。
白雪にきちんと筋を通したことも相まって、この愚か者は最後の最後まで見事に愚かを貫いたのでした。終わってみて、なおさらにそう思います。本当に、大した男でした。

そんな彼を、果たして繭墨あざかはどんな風に見ていたのか、ずっと気になっていたところではあったんですが……彼女の小田桐くんについての独白は、やはり辛辣であきれ果てているのが一目瞭然の厳しいものでしたけれど、それ以上に慈しみにあふれていて、どこか優しい眼差しを感じさせるものでした。突き放してはいるけれど、決して目を逸らさず、いつでもじっと見守っている。小田桐くんがどれほど傷ついても慰めてはくれなかったけれど、いつでも傍に居てくれた。彼がどれほど馬鹿なことをしでかそうと、愚かな判断をしようと、明らかに間違っているだろう決断をしても、彼女はそれを許し続けたし、文句を言いながらもいつも一緒に巻き込まれてくれた。何度か、シリーズ途中でも繰り返したけれど、繭墨あざかというヒトはずいぶんと優しいヒトだったと思う。決して甘やかさない人だけれど、何も共感してくれない人だけれど、やっぱり優しい人だった。

そして、雨香である。男である小田桐くんの腹の中に収められた、異形の子、真なる鬼の娘。
最初、何もかも喰らい果てるだけの怪物、不気味で気持ちの悪いいびつな化け物としか捉えられなかったそれは、成長するにつれてなおも怪物性を増しながら、同時に人間性をも獲得していく、可愛くも可哀想な子でした。こんないびつな生まれ方をしながら、こんなおぞましいあり方をしながら、それでも徐々に人の心を得て、小田桐くんからちゃんと愛情を注がれて、鬼でありながら同時にちゃんと人の娘として育っていきました。
まさか、当初こんなにもおぞましく思えた怪物が、こんなに愛おしく思えるなんて、ついぞ想像すらしなかった。こんなにも健気に、一心に、小田桐くんからの愛情を受け止めて、娘として振る舞うなんて思わなかった。
怪物であれば、鬼であれば、こんなにも苦しまずに済んだだろうに。本能と愛情の間で、こんなにも絶望せずに済んだだろうに。それでも、この娘を自分の娘として、人の子として愛を注いだ小田桐くんの父親としてのあり方は、雨香を幸せにしたのでしょう。この鬼の子に、幸せというものを与えてあげられたのでしょう。良かったなあ、と思うのだけれど、それ以上にやっぱり哀しいです。悲劇ではないかもしれないけれど、大好きな父親と一緒にいられなかった、父親を守るために離れることを選んだこの子の健気さを思うと、胸が痛いです。
救いは、なおも小田桐くんが彼女のことを諦めていないということか。連れ戻すことは叶わなくても、鬼である以上そちらに在ることが誰にとっても良きことなのだとわかっていても、父親として娘が元気かちゃんと確かめたいとする彼の姿勢は、敬服に値します。白雪さんとのことといい、今回最後の最後で小田桐くんも彼なりに男をあげたものですなあ。

今振り返っても、いったいどこでこのルートへの道筋が出来たのか。何人も哀しい結末をたどった人がいました。おぞましい末路に落ちていった人も居ました。大切な人も何人も逝ってしまった。綾のように。
でも、それでも、こんなにも優しく温かい結末にたどり着けるなんて、果たして誰が信じられたでしょう。本当に、本当に頑張った。絶対に無理だったはずのものをひっくり返した、その頑張りには敬意すら覚えます。
もう少しだけ、短篇集という形でこの後の物語も描いてくれるようですけれど、それまで今しばらくはこのあり得なかったはずの、甘やかな優しい幕引きに浸りたいと思います。

シリーズ感想