メイデーア魔王転生記 -俺たちの魔王はこれからだ。- (富士見ファンタジア文庫)

【メイデーア魔王転生記 俺たちの魔王はこれからだ。】 かっぱ同盟/るろお 富士見ファンタジア文庫

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二千年前、異世界メイデーアに悪名を轟かせた三人の魔王。勇者に討たれた彼らは、今は日本で高校生活を送っていた。『なぜ我々は勇者に殺されなければならなかったのか』それだけを考え続けていた彼らの前に、あの勇者が現れる!「懺悔は十分に済んだだろう、魔王共。ならば、お前たちのしでかした事が何だったのか、その目で確かめてみるんだな」そうして再び勇者に殺された三人は、戦争前夜のメイデーアへと帰ってきた。かつてを上回る強大な魔力を手にして…。“黒魔王”トール、“紅魔女”マキア、“白賢者”ユリシス。前世の罪を清算するための、最強魔王たちの戦いはこれからだ!
難しいもので、発表媒体が変わるとフォーマットも変わってしまう。そして、それが商業物だったりするとマーケティングが鑑みられてある種の整理整頓が要求されてしまうのです。昨今での一番わかり易い例題が、いわゆる「アニメ化」というやつで、特にライトノベルからアニメ化するものは特にこの傾向があり、1クールという括りの中に収めるために原作となる作品はひたすらその内容を削り落とされることになる。実際のところ、もっと柔軟に対応できる余地はあるはずだし、事実としてそれが出来ていた作品もあったわけだが、まあそれはさておき。
この手の媒体が変わることで整理整頓という形で元の姿を少なからず損なってしまうパターンにおいて、ライトノベルというものは概ね「削り取られる」側だったのだけれど、昨今ちょっと事情が変わってきた。そう、ウェブ小説から書籍化という形式が増えてきた件である。逆に、削り取られる側だったライトノベルが、削る側にも立ち始めたのである。
インターネット上で作者が思うがまま自由に執筆するウェブ小説は、商業的要素が無いが為に一切の制約が存在しない。一話にどれだけの分量を費やしても構わないし、ある一定の領域の中に起承転結を収めなくても構わない。その自由さは往々にして無軌道の巷に散逸してしまうのだけれど、時としてその自由さなればこその「特別」が誕生することもある。
だが、そんなウェブ小説の「自由」さは、書籍化する場合まずもって既存のフォーマットに当てはめるために編集されることになる。
さて、そのプロの洗礼となる「裁断」が吉と出るか凶と出るかは、ケース・バイ・ケースなのだろう。一概に良い悪いとは言えないと思う。見違えるように洗練され、より磨き上げられた形で上場される場合だってあるはずだ。しかし、その一方で元あったものが損なわれてしまう場合も当然存在するだろう。
個人的には、そのケース・バイ・ケースを見極め、フォーマットに拘らず、柔軟に対応することこそ出版側におけるプロのお仕事、だと思うのだけれど、そういう柔軟なお仕事を考える、思う、想像するにとどまらず、まず実行に移し、意見を通し、本当にやってしまえる人はどの業界でも本当に一握りなのでしょうね。
さて、初っ端から随分と話がズレてしまいましたが、本作【俺たちの魔王はこれからだ。】もまた、今もなおインターネット上で連載が続いているウェブ小説であります。上にも記した類型の一つとして、本作もウェブ版からは色々と削られてしまっているのですが、大事な部分、肝心な部分はキッチリしめて残してあるんですよね。なので、決して無茶な再構成がなされているわけではなく、かなりうまくやっている方なんだとは思います。削られている部分も、本筋とはあんまり関係ない部分が殆ど、益体もない日常パートとか、メインの三人とは違う周囲の人の視点のお話とか、地球時代のお話とかで、無駄といえば無駄な部分なんですよね。削ぎ落とすなら、そのあたりなんじゃないかという……。
でも、こうしてそういう本筋から外れたお話であっても、なくなってみるとどうも味気ない。肉付きが薄くなってしまっている。マキア、トール、ユリシスのどこか神秘的ですらある親密で特別な関係が、味気ないものになってしまってるんですよね。こうしてみると、関係無いように見えてなんでもない日常のお話とかが決して無駄ではなく、空気感、雰囲気、キャラクターの深みなんかを醸し出す重要な要素だったんだなあ、というのがわかります。
トールとマキアの再会にしても、むしろ当人たちよりもその初対面のはずの再会を周りから見ていた人の視点からとらえた方が、あの再会シーンがどれだけ神聖にすら思える犯し難いものだったのかが伝わってくるんですよね。マキアの両親にしても、自分の娘への愛情の注ぎ方や、娘にとって特別な存在であるトールへの想いなんかが日常シーンに込められていて、トールの母親への複雑な感情なども含めて、魔王でも地球からの転生者でもない、幼い少年少女としてのトールとマキアとしての生活と人生が日常を通して描かれていたからこそ、あの再び魔王として立つ決心が、これまでの穏やかで愛情に包まれた生活に背を向ける決意が尊いものとして浮かび上がるのに、なんか決戦に至ってもあっさり風味でしたもんね。
ユリシスにしても、彼視点のシーンがだいぶ削られてしまったせいで、ユリシスの王子として生まれた苦労とか、それ故にトールやマキアとの再会をどれだけ渇望していたかが伝わらずに、いきなしぽっと出で現れて、あ、再会出来ました、なんて感じの呆気なさが生じてしまい、なんともむにゃむにゃ。番外編の地球時代のお話も、こうしてみると大事だったんだなあ。
ともあれ、全体的に出汁が入ってない味噌汁みたいな感じでした。なまじ、出汁の入った状態を知っているだけに、物足りなさは否めませんでした。
三人の魔王時代のお話は、これは本当に大事なのでちゃんとやって欲しいなあ。
しかし、この頃のマキアってまだ幼いはずなのに、ウェブ版最新あたりの彼女と比べるとむしろ大人びている気がする。貴族のお嬢様としての教育があれでもまだ生きていたのか。今のウェブ版のマキアってもういろんな方向の箍が外れちゃって、フリーダムも良いところだもんなあ(笑
藤姫は、名前からしてもっと和風のすました感じのイメージだったのですが、なるほどこのデザインはいい意味で予想外だった。シャトマ姫は、過去編から今に至るまで一番気合入った真っ直ぐで情の厚い人生送っている人でめっさ好きなんですけれど、これはアリだな。うん、そしてカノン将軍かっこ良すぎるだろう、これ。トール、これ無理だわ、敵わん。これがイケメンっていうのよ?